2024年10月7日月曜日

自民党のしたたかさ

  実に絶妙な総裁選挙でした。1回目は過半数に達する候補者はなく決選投票となって首位であった高市さんを逆転して石破さんが自民党総裁に決定しました。安倍さんの後継を標榜し、より「右傾化」をよそおって盤石基盤の自民支持層の右半分を全部かっさらえば勝てると踏んだ高市さんは案に相違したのです。「選挙至上主義」の今どきの代議士は「皮膚感覚」で「あやうさ」をキャッチし極右の高市さんでは選挙に勝てないと判断して石破さんに寝返った、わずか21票という微妙な差で。絶妙です。ここに自民党の「したたかさ」を見ました。

 

 高市さんは「勘違い」したのです、支援は「自分」に対するものと思い込んでいたのでしょうがそうではないのです、「擬似安倍」としての高市さんに投票されたのです。崩れ逝く「安倍なるもの」への郷愁が劣勢を伝えられた(告示当初は3位予想でした)高市さんを1位に押し上げたのですがそれが現実になりそうになって、ハタと気づいたのです。選挙に勝つためには「安倍なるもの」が前面に浮かび上がったのでは今回は勝てない。少なくとも「刷新感」を国民に感じさせる体をよそおわなければ国民は赦さない、と。

 高市さんは傲慢でした。安倍さんでさえ「靖国参拝」は慎重に対処していたのに、総理大臣として記名して参拝するなどというのはたとえ「ポーズ」としても思い上がりです、普通の外交センスがあれば総裁選だけのポーズとしても控えるべきでした。「擬似」が「本もの」を超えようとするのは愚かです。加えて決選投票を争った自分は安倍さんと「同格」の幹事長に「当然」遇されるべきだ、などというのは思い上がりもはなはだしい限りです。

 

 「安倍なるもの」は今回の衆議院選挙では『削除』しなければなりません。裏金問題は「清算」の体をよそおわねばなりませんしアベノミクスも「賞味期限切れ」です。いくら高市さんが強がっても裏金議員の三分の一、ひょっとしたら二分の一は落選するでしょう。裏金2千万円以上の9人は危ないし1千万以上の15人も相当危ういでしょう、86人中25人以外にも地方の実情もあって落選半数は決して無理筋の予想ではないとすれば旧安倍派99人のうち約半数が減る可能性があるのですから石破体制になれば高市さんの勢いはここまで(総裁選まで)なのです。それに気づかないで「無役」の虚勢を張れば高市さんは一挙に落ちぶれることでしょう。ここは耐え忍んで政調会長でも総務会長でも受けて臥薪嘗胆を期すのが賢明だったのですが。惜しい哉!

 付け加えるなら総裁選に早々と名乗りを上げて「清新さ」を訴えた小林鷹之さんは前評判とは裏腹に最も「古い自民党的」体質の人でした、残念です。金子恵美さんや宮崎謙介氏の評判が至って良かったので若手(?)のホープと目していたのですが旧派閥の縛りから一歩も抜け出ることのできない振る舞いは失望の極みでした。

 

 自民党の「したたかさ」はこればかりではありません。今回の「裏金議員選挙」では「党内野党」を貫いた石破さんを矢面に押し立てて選挙戦を戦うのですが勝算はやってみなければ分からないのが本当でしょう。石破体制で「刷新感」が演出できて過半数割れをしのげれば万々歳ですが、たとえ目算が狂ったとしても「石破体制」は「使い捨て内閣」で済ませばいいのです。「自民党本体」にとってはいくらでも代わりはあるのですから。と、高をくくっているにちがいありません。たとえ過半数を割ってもマイナス10くらいで収まれば一旦政権を譲ったところでどうせ反自民連立内閣は早晩閣内不一致で崩壊するだろうから再奪還は可能だと「自民党本体(?)」は思っているにちがいありません。(そううまく行くかどうかは保証の限りではありませんが)

 

 いずれにしろ次の衆議院選挙は国民の「本性」の問われる選挙です。裏金議員をなんとなく許してしまうような結果になれば、投票率が相変わらずの60%を下まわって55%やそこらで終わるようならわが国の民主主義は危機的状況に陥ってしまうことでしょう。わたしの一つの指標は「萩生田光一」さんが推薦されるかどうか、ましてや当選するようなことがあれば自民党は終わりです。そう考えています。

 

 雅操を堅持すれば好爵自ずから縻す(がそうをけんじすればこうしゃくおのずからびす)という言葉があります(『千字文』より)。人が正しい節操を堅持すれば自然と高い官位や俸給はついてくるという意味です。今の政治家にこんな志があるでしょうか。

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