『ことばの歳時記(新潮文庫)』を読み終えました。国語学者の金田一春彦さんが1年365日を1日ごとにその日にふさわしい言葉や事がらを取り上げて文庫本1頁の短文にまとめ上げたこの本を毎日見開き2頁をベッドに入ったあとのピロ―ブックとして読んだので大体半年で読むことができました。大体というのは1頁も読まないうちに睡魔におそわれることがあったからです。「ピロ―ブック」というのは英語の「ピロートーク」を捩(もじ)った造語で催眠導入のために読む本と意味して作りました。今までで最も良かったピロ―ブックは大岡信さんの『百人百句(講談社)』で『寺田寅彦セレクション(随筆集/講談社学術文庫)』も効果抜群でした。要するに肩の凝らない短文の、それでいてこころよいリズムのある名文がいいのです。セレクトが良ければ1週間もつづけると1~2頁読んでいるうちに眠気が催してきて目をつぶると知らないうちに眠ってしまいます。さて次は何を選ぼうかな。
国語学者だけにどの日の蘊蓄も面白いのですがもっとも驚いたのは「働」という字が『国字』だということでした(11.月23日)。「日本にあって中国にないもの、となると既成の漢字では間に合わない。そこで苦肉の策として国字が生まれ、ことに木ヘンや魚ヘンなどには変わった字がたくさんできた。(略)そういう国字の中で最もよく使われるものは、人ヘンに動く、つまり「働く」という字であるとは、日本人の勤勉さをよく表しているではないか」。いわれてみると人ヘンに動くなどという構成はいかにも国字らしいのですが、しかし人間生活の基本中の基本である「労働」を表す字が本場の漢字にないというのは驚きでした。「労(ろう)」は勿論漢字ですが「疲る、勤める、心を痛める、しごと、ねぎらう」などの意味があります。「勤(つとむ)」は「つとむ、はたらく、力を尽くす、心を労する、つとめ、ねんごろ」と漢和辞典にあります。働くに近い言葉として思いつく「労働」「勤務」以外では「仕事」がありますが「仕」は「つかう、官につく、つかへ、宮づかえ、まなぶ」などとなっていて、以上の3字からは「肉体を使って労働する」という意味にぴったりと当てはまる字ではないようです。思うに漢字は中国の官僚や軍人が使ったものですから農民のような下層民の労働は関係なかったから文字化しなかったのかもしれません。上の3字に共通するのは官僚として仕える、勤めるという意味ですからさすが「科挙」の国です。
もうひとつ教えられたのは「ご賞味下さい(7月14日)」です。日本では人にお中元のようなおくり物をする時のあいさつに「どうぞご笑納下さい」というが、これは文字通り「笑ってお納め下さい」ということばで、これまた日本的な表現だ。近ごろこういう時に「ご賞味下さい」と書く人があるが、これでは「おいしいと思ってお上がりください」という日本的でない言い方になる。見坊豪紀氏の意見では、これは、「ご笑味下さい」と書くべきものを同じ発音であるところから、うっかりまちがって書いたのにはじまる言葉であろうという。
「毛皮(12月2日)」は日本が農業国であって牧畜がほとんど行なわれなかった事情を浮かび上がらせています。毛皮を英語ではfurといい、なめした皮はleather、なめす前のそのままのものはskinという。その他、木の皮はbark、くだものの皮はpeelというふうで、皮に関する限り英語の語彙はまことに豊富である。(略)中国では…カワと読む字として「皮」という字のほかに「革」という字がある…「韋(イ)」という字の方はなめしたカワだと教えられ、漢文の時間にその区別をおぼえるにに苦労したものだった。
「お中元(7月3日)」はお中元の歴史を知ることができます。「中元」はもともと盂蘭盆の行事で、正月十五日を上元、十月十五日を下元として祝うのに対し、七月十五日を中元の佳節として半年生存の無事を祝ったのがおこりであるが、今は上元・下元の方は影がうすれ、中元だけが夏の贈り物の代名詞として、サラリーマンの頭を悩ますものの名となった。/日本では贈り物の呼び名が多く、正月はお年玉、年末はお歳暮、病人にはお見舞い、別れる人にはお餞別、帰ってくるときはおみやげなど、かぞえあげたらキリがない。以前は、人にあげるものはおくりもの、もらったものは到来物といって区別した。
「七五三(11月15日)」。数え年で三歳と五歳の男の子、三歳と七歳の女の子のお祝いをする日である。この祝い、もともとは幼児が無事に成長して一つの段階を経過したことを喜び、このことを公表して縁者とともに祝う儀式だった。/男女とも三歳になるとはじめて髪をのばし、その祝いを「髪置(かみおき)」といった。五歳になる男児は、はじめて袴をつけて正装した。「袴着(はかまぎ)」である。七歳の女児は紐つきの着物をやめて帯を締める式をして「帯解(おびとき)」の式といった。
以上面白そうなものを選りすぐって取り上げましたがその他にも興味をひかれるものは枚挙にいとまがありません。たとえば漱石が造語の名人であったことは意外と知られていないのではないでしょうか(「漱石忌」12月9日)。――「牛耳をとる」を、「牛耳る」とつめ、「野次をとばす」ことを「野次る」と言ったりするのは、漱石がはじまりらしい。――牛耳をとる、という元の表現を知らなかったのは汗顔の至りです。「タンポポ(4月4日)」は花のかたちが鼓に似ていることから鼓の音を昔の人はタン、ポン、タン、ポンと聞きなしたところから、子どもたちがタンポポと呼んだのが語源であるとか、電話を「モシモシ」とかけるのは「申します、申します」といったのが略されたものだそうで(「電話のはじめ」12月11日)、金持ちにもランクがあり(「金持ちのランク」2月6日)分限、長者、さらにその上に「よい衆」があって「代々家職もなく、名物の道具を伝へて、雪に茶の湯、花に歌学、朝夕世の業(なりわい)を知らぬ」という、まことに羨ましい身分を言ったそうです。東京で「金持ち」というのは長者・分限者の下でこれは成り金のことで大分見劣りがすると金田一さんは嘆いています。
SNS全盛でテンプレートの定型文で事足りる現今ですがこのままでは日本語の多様性が失われるのも時間の問題でしょう。ことばの豊かさが人と人のつながりを潤滑にしてきたわが国の歴史を鑑みるとき、このまま放置することはあまりに悲しいと思うのは私だけでしょうか。
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