2010年7月12日月曜日

自己責任の罠

 裁判員制度が始まって1年になるが、顕著な傾向として執行猶予判決に「保護観察」のつくケースがこれまでの37%から59%に増えていることが最高裁から公表された実施状況で明らかになった。裁判員が職業裁判官に比して被告人の社会復帰や更生に強い関心を持っていることを表していると分析されている。一方でこうした状況が従来からの保護司不足を更に深刻にしているとして問題視されている。

 そもそも保護司とは「厚生保護法」の定めに従い犯罪者の更正を主任者である保護監察官で十分でないところを補うボランティアの国家公務員で、保護監察官の絶対数が不足しているところから更正支援の実質的な担い手となっている。保護観察の再犯抑止効果は明確で「犯罪白書」に数字を上げて示されているが、保護観察を付ける判決が08年には執行猶予判決全体の8.3%にとどまり過去最低になっている(60年代には2割前後で推移していたが80年代以降減少傾向で03年に初めて1割台を割り込んだ)。
 しかし近年の経済状況悪化から犯罪者は増加しており刑務所不足が恒常化、現在4千人分が不足、今後更に毎年5~6千人ペースで受刑者が増えると予想されている。こうした状況は財政負担を悪化させる事は明らかで抜本的な取り組みが必要であろう。

 しかし何故このような重要な職務が『無給のボランティア』に頼っているのだろうか。
 保護司制度に限らず今あるいろいろな社会制度は根本的に見直す時期に来ている。最近問題になっている貧困ビジネスの温床である「生活保護」についても発想の転換によって全く異なった対処法が見えてくる。6月に発表された厚労省ナショナルミニマム研究会「貧困層に対する積極的就労支援対策の効果の推計」によれば、18才から2年間生活保障付きの集中的就労支援をすることで、それにかかる費用と20才から平均的な人生をたどることによって齎される税・社会保険料納付額を比較すると、女性で2倍、男性では8倍以上の効果があることが示されている。

 犯罪であれ生活保護であれ現在は『自己責任』で突き放し『セイフティーネット』で救済するという考え方が支配的だが、グローバル化した資本主義経済の病理を冷静に突き詰めれば、『互助』『共助』という姿勢で『機会の不平等』を修正する方が、効果的で『人間的温もり』のある社会に変革できることに気づくべきだ。

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