2011年3月21日月曜日

原発事故について

 読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」に加藤登紀子さんがゲスト出演した時野放図な原発推進に警鐘を鳴らしたことがあった。マスコミから原発批判がすっかり消えてしまったこの時期に、批判するべきはキチンと批判する彼女の姿勢に『緩んでしまった我日常』を愧じた。
 
 大阪府庁と府警の間にあった「水素ステーション」が昨年末で「事業仕分け」された。こんな一等地に1日数人の参観者しかない、トヨタ製の1億円する水素ガス式電気自動車を1千万円の年間使用料を払って啓蒙する意義に疑問を感じていたから当然の措置だが、その技術説明員さんが一通り説明を終えたあとこんなことを言った。「そんなことより、原発原発と騒いでいますが本当に大丈夫なんでしょうか。私の個人的な意見ですが怖いですね」。
 
 日本の原発の稼働率が65%と低い現状を米韓並みに85%前後に高めるべきだという論調が年々高まっていた。しかしそこにこそ『被爆国』としての『良心』があると誇りを感じていた。だからこそ世界一の品質という評価が得られているのだと信じていた。ところが今回の事故の経過を見ていると原子力安全・保安院と電力会社の関係は『馴れ合い』ではなかったのかという疑問を強く抱いた。たとえ不備があったとしても施設と住民の安全を最優先に手順が踏まれ「安全の担保」が厳密に整序されていたとは思いにくい。

 結局「原子力安全・保安院」が経済産業省の一機関である限り、推進派の力が強い中で安全最優先の行政を進めることは不可能である。内閣府に設置されている「原子力安全委員会」を原子力を安全に利用するための国による管理・規制を担当する「独立した機関」に格上げするか、或いは行政とは全く独立した「安全確保の絶対的な機関」を設立するかのどちらかにしなければ安全の確保は不可能である。
 同時に「電力の自由化」を強力に進めて「地区別の寡占状態」を打破し電力事業を競争に曝すことで、東電にみるような『思い上がった殿様商売のブラックボックス事業』から脱却させる必要がある。

 現在の不安定で危険な状況からいつ解放されるか予断を許さないが、犠牲を無駄にしない、将来展望に結びつく国民の納得の得られる結果が導かれることを祈念して止まない。

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