2011年4月18日月曜日

未必の故意

 「放射線がうつる」と学校ではやし立てられた東日本大震災の被災児童が転校先から別の土地に移されていたという報道は痛ましい。大人の心ない会話が子供たちの発言につながっていたとしたら悲しい。しかし我々国民は福島第一原発事故に関して、まだ誰からも真実を語られていない。国の内外に飛び交う風評は政府その他要職にある人達の責任だ。

 もし福島第一原発が『個人の所有』だとしたら『未必の故意』として重罪に処せられる事は間違いない。『想定外』と言い訳しようと状況次第では殺人罪にも相当する重大事故であるにもかかわらず政府の東電に対する姿勢は極めて甘い。厳しい責任追及もないうちに国有化や損害賠償の支援策が論じられるのは一体どうしてか。東電は企業廃絶(=企業の死)、そこからのスタートが当然とするのが市民感覚だがそうなっていないのは何故か。(首都圏の電気事業会社が東電である必要はない。)

 現在の法律では法人という組織に対して刑法上の罪を問うことはきわめて困難な体系になっており、犯罪を犯した企業の経営者に法的および道義的責任を問う以外に方法がない。加えて原子力に関わる事故に関しては別に「原子力損害賠償法」があってそこに「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない(損害を賠償する責めを負わなくてもよい)」と定めてある。又賠償額については、加入が義務付けられている原子力損害賠償責任保険の補償額―1工場・事業所当り1200億円を賠償に当てることができるという規定がある。

 東電の経営者は当然こうした法律を熟知している。今回の地震と津波は上にある『異常に巨大な天災地変』に相当すると認識しているに違いない。被害者への損害賠償に関しても法の定めにある『1200億円』を前提としているように感じる。そうでなければ東電社長がお詫び会見でみせた開き直りとも見えるふてぶてしい態度は理解できない。

 企業の犯す犯罪がこれほど甚大で広範に及ぶという考えは今ある法体系の底流にはない。損害が何兆円にも上るという事態にも考え及んでいない。東電の犯した犯罪は現法体系とは別次元にあると、国民は認識している。

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