2011年6月13日月曜日

保守主義について

 保守主義とは「私権の制限を最小限にすることを価値判断の基準とする考え方」ととらえている。これに「自分の属している社会構造から他の社会構造への移行を、人間的価値の損失を最低限にとどめながら引き起こすこと」というシュンペーターの考え方を付け加えると今の政治状況を的確に判断できる。

 東日本大震災の被災者の立場に立てば、自分の家や土地、生活権や営業権の制限はできるだけ免れたいと願うのは当然のことである。しかしどうしても妥協しなければならない状況に追込まれた時には、自分の誇りや人間的価値のバックボーンになっている地方特有の歴史や文化を可能な限り守りたいと思うに違いない。こうした視点から今までに打ち出されている「復旧・復興策」を点検してみると被災者の感情を逆なでしているものが少なくない。政治家や官僚・行政マンは所詮『他所者』であり被災者の心の奥底―今回のような想像を絶する災害に遭遇したとき人は究極の「保守主義」に落ち入らざるを得ないという心情―まで考えていない、机上論で処理しているからである。

 我国の政治状況を考えるとき、本当の意味での「保守主義政党」が育っていないことが根本的な弱点になっている。戦後復興という国難を乗り越えるためには「私権を制限して中央政府に権限を集中させ再配分を効率的に行う」必要があり、そうした体制が自民党政治崩壊まで続いてきた。ところが国民のほとんどは「自民党政治=保守政治」として疑ってこなかったから「反自民=革新政治」という図式で民主党を選んでしまった。ところが実際は両党とも「大きな政府」を標榜する政党であるから「政権の変更=政治の変化」とはならなかった。民主党になっても何にも変わらない、のは当然なのだ。
 
 菅首相が交代しても次ぎの総選挙まで今の体制が続くなら政治の混迷はつづく。大連立が収拾策でないことは明らかだ。本物の保守主義政党が出現するかどうか、そこが根本的な問題である。

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