2011年7月11日月曜日

即非の論理

 松本龍(前復興担当相)という人を始めて見たとき「この人は古いタイプの人だな」と思った。その後何度かテレビに映し出されると「この人は古いタイプの大物政治家を気取っている」と感じるようになった。例えば田中角栄のように『ヨッシャ、ヨッシャ』と親分肌で陳情を処理していった1980年代までの政治家を演じている風がにじみでていた。しかし当時と今では根本的に政治状況が変化している。財政資金が有り余っていた当時と異なり現在は財政再建が喫緊の課題となり復興財源の捻出にも四苦八苦している有様であり、加えて国が推進してきた原子力政策の是非が問われる福島第一原発問題の処理が最大の課題であるから、政府と地方の首長は微妙な関係にある。そうした状況を考慮する繊細さが微塵もなかった彼が即刻辞任するのは当然であった。

 菅直人首相も「後世に名宰相と評価される」総理であろうと懸命に演じている。消費税増税にはじまって平成の開国、再生可能エネルギー、原発廃止など評価の対象を漁って延命を模索しつづけている。

 鈴木大拙に「即非の論理」という教えがある。これは仏教の「色即是空(この世で形あるもの《色》はみな、とらえどころがない《空》。とらえどころがないからこそ、形あるものになれる。)」をまとめ直した考え方で、「AはAではないからこそAと呼ばれる」という論理で逆に言えば「このBは、まるっきりBそのものだ。だからBではない」ということでもある。例えば料理写真を考えてみると、素人が実物そのままを撮ったにもかかわらずあまり美味しそうに写らない。プロの写真家は、刺身にワックスを塗ったり焼き肉を絵の具で着色したりして、強力なライトを当てて撮影するから美味しそうに写る。AはAでないからこそA(美味しそうな料理)に見えるのだ(加藤徹著「漢文力」より)。

 菅首相も松本前復興相もさも「名宰相」たらん「大物政治家」たらんと振舞い過ぎたために反って『みすぼらしい本性』を曝け出してしまった、と後世は評価するかも知れない。

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