「英雄のいない国は不幸だ!」「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ。」このセリフで有名なB.ブレヒトの「ガリレイの生涯」は1939年に第1稿(デンマーク版)が完成したが原爆投下を知ったブレヒトは作品の大幅な書き直しを決意する。ガリレイの学説撤回は科学の原罪として断罪されなければならないと考えたからである。
戯曲「ガリレイの生涯」はこうした経緯もあってかフクシマ原発事故に関わる警句に満ちている。(テキストは「ブレヒト戯曲全集第4巻・岩淵達治訳」未来社版を使用)
君たちは科学の光を慎重に管理し/それを利用し、決して悪用するな。/いつの日かそれが火の玉となって降り注ぎ、/われわれを抹殺することのないように、/そうだ、根こそぎにしないように。(第15場)
(宗教裁判で自らの地動説を撤回したガリレイと決別した愛弟子アンドレアがオランダへ科学の研究に旅立つ前に幽閉地フィレンツェの別荘にガリレイを訪れる。番兵と娘のヴィルジーニアが席をはずし二人きりになるのをまっていたかのようにガリレイが苦渋の胸の内を吐露する第14場でドラマはクライマックスを迎える。)
私は自分の職業を裏切ったのだ。私のしたようなことをしでかす人間は、科学者の席を汚すことはできないのだ。
私は、自分の知識を権力者に引き渡して、彼らがそれを全く自分の都合で使ったり使わなかったり、悪用したりできるようにしてしまった。
科学は知識を扱う、知識は疑うことによって得られる、すべての人のために、すべてのことについて知識を作り出しながら、科学はすべての人を疑いをもつ人にしようとする。
科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。もし科学者が我欲の強い権力者に脅迫されて臆病になり、知識のために知識を積み重ねることだけで満足するようになったら、科学は片輪にされ、君たちの作る新しい機械もただ新たな苦しみを生み出すことにしかならないかもしれない。
私が抵抗していたら、自然科学者は、医者たちの間のヒポクラテスの誓いのようなものを行うようなことになったかもしれない。自分たちの知識を人類の福祉のため以外は用いないというあの誓いだ!
しかしわれわれ科学者は、大衆に背を向けてもなお科学者でいられるだろうか?
人類はブレヒトを必要としない時代を迎えることができるだろうか。
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