2011年12月12日月曜日

オフレコ

防衛大臣問責決議の原因となった前沖縄防衛局長のオフレコ発言に対して12月6日付日経・春秋が大要以下のような発言をしている。
 「この一週間喉に骨が引っかかったような感覚が抜けない。/あの暴言を明るみに出したメディアは正しかったのか。/発言を記事にしないとの約束を前局長と記者たちが前もって交わした/琉球新報は、発言を沖縄県民に伝えることを優先した。/約束は(略)相手が市民であれ官僚、政治家であれ、守る。そういう原則を貫くことも大切ではないか。/喉の骨はそう訴えうずき続けている。」

 この発言は「記者クラブの仲間内の論理」に終始しており「メディアは終局的に国民の利益に奉仕する」という視点が完全に欠落している。そして「オフレコは当事者間の信頼関係が前提」とされるが前局長と同席した記者たちのあいだにそれが醸成されていたのかの検証がない。

 「オフレコ懇談は、報道されないことを前提に、踏み込んだ情報を提供し、政府の政策に対して理解を求める公務なのである。(略)真剣勝負の場だ。/仮に記者が約束を破り、記事にしたならば国益にどのような影響があるかを頭の片隅に置きながら(略)オフレコでの情報を提供するのである。/ほんとうの機微に触れる話しをするときに、官僚は1対1のオフレコの懇談をする。/約10社が参加するような懇談は(略)縛りの緩いオフレコ懇談だ。/メモが政治家に流出することもよくある。(略)この種の完オフ懇談を通じて、(政治家に)メッセージを流すことがある。」
 12月7日毎日新聞に掲載された元外務官僚佐藤優氏のオフレコに関する発言要旨であるが示唆に富んでいる。

 原則として、1年単位でコロコロと総理大臣が変わる今の日本に(大臣や官僚との間に)オフレコは成立しないと考えるべきだろう、信頼関係を構築する時間がないのだから。又佐藤氏が言うように、例えオフレコ破りがあったとしてもその先を計算しておく位の用心と懐の深さが欲しい。しかし本当は、国を憂い国民を深く思いやる真実の政治家や官僚であれば例えオフレコ破りがあっても顰蹙を買うような『言葉』を口にしないに違いない、という期待が国民にはあるということを彼らは知ってほしい。

 記者に政治家が鍛えられ政治家が記者を育てた時代は遠くなってしまったようだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿