2011年12月26日月曜日

年末雑感

荷風の「下谷叢話」を読んでいると「禁奢令厳にして春凄絶たりしを/近日漸く復す旧繁華」という詞があった。天保の改革の執政者水野忠邦の免職を悦ぶ江戸市民を詠じた大沼沈山の漢詩の一節である。幕府財政の建て直しを図った忠邦は奢侈禁止令を発したが反って経済が萎縮し上知令(江戸大坂周辺に幕府直轄領を集中するために周辺の大名・旗本に領地替を命じたもの)への大名・旗本の反発も手伝って改革は失敗に終わった。
 デフレの終息も未だ全く見通せない状況にあるにもかかわらず「消費税増税」を不退転の決意と声高に叫ぶ野田総理の政治姿勢に水野忠邦がダブって見える。八ッ場ダム工事凍結解除をはじめマニフェストのほとんどを未達成のまま放棄しマニフェストに無い消費税増税を説明不十分のうちに既定の事実化しようとする民主党はもはや政党の態を成していない。政権交代に国の新展開を託した国民は暗澹たる気持ちで平成23年を終えなければならない。

 閑話休題。ここ両三年、鴎外と荷風をどっぷりと親しむことができた。上の下谷叢話もそのうちの一篇だが以前の私であればとても歯の立たない難物であったろう。60歳を過ぎてから漢文と古文を攻めてきたからこそ両巨匠の文学に挑戦することができたし今年は樋口一葉の「にごりえ」や「たけくらべ」の雅俗折衷体の名調子を楽しむこともできた。
 
 コラムで何度も提案してきたように、英語の小学校からの義務教育化は時代の趨勢から当然の成り行きとして、それと併行して古文と漢文も『語学』として採用すべきである。江戸以前はいうまでもなく明治から戦前の昭和の文学や芸術作品までもが「読めない理解できない」では世界でも有数の歴史と文化をもった国のあるべき姿といえないだろう。国の一部の層から「道徳教育の復活」を提唱する動きがあるが、それよりも古文と漢文を学習すれば我国の底流となっている考え方を自然に知ることができるようになるだろうし、それに現代世界の主流になっている西欧思想を総合した「日本人としての真物のバックグラウンド」をもった若者が生まれてくれば、20年もしないうちに新しい日本に生まれ変われるに違いない。

 歴史と断絶した、根なし草のような軽い言葉で政治を語る人たちには、もう国を託しておけない。
(本年のコラムはこれが最終です。皆様良いお歳をお迎え下さい。)

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