2012年1月23日月曜日

野球の殿堂

2012年の野球殿堂入り選手等の発表があって北別府、津田の広島投手勢の名が華々しく報じられているが同時に殿堂入りした故・大本修氏について豊田泰光氏が日経「チェンジアップ」に紹介しているのを読んで己の不明を愧じた。発表時の記事では『バット素材の研究に従事した』とのみ報じられていたが豊田氏によればとてもそれだけの人ではなかったようだ。

 芝浦工大の学長まで務めた大本氏の専門は電気工学であったが「金属バットの安全基準」の策定等に尽力されたことが表彰対象になった。しかし「金属はあくまで木の代替物」が氏の信条で安全性を考慮して金属バットの反発力抑制に指導力を発揮された。木への愛着はやがて国産アイダモ(バットの素材)の保護育成に発展し豊田氏も協力を惜しまなかった。ところがプロ野球選手のバットは国産アイダモから『球のはじきが良い』北米産の輸入材が主力を占めるようになりそのうえスイングスピードを手軽に上げるためにバットを極端に乾燥させ軽くする傾向が強くなった。その結果バットが折れやすくなり「使い捨て」の風潮が一般になる。大本氏の亡くなる前の仕事は「折れやすいバットへの対応」となっていた。
 易きを求める選手の風潮とそれに阿(おもね)る業界の儲け主義は野球機構の助長も手伝って野球を大味なものにしてしまった。ラビットボールを大リーグと同じ世界標準に改めた昨年のゲームに緊迫した白熱戦が多くなったのを見ても用具の改善余地はまだまだあるように思える。野球人気の復活のためにも大本氏の殿堂入りを期に再考を求めたい。

 ところで、もし「政治の殿堂」があったとしたら野田佳彦首相は殿堂入りを果たすだろうか。「ネバーネバーネバーネバーギブアップ」と消費税増税を不退転の決意として声高に叫ぶばかりでその先にある『国のかたち』が全く見えてこない彼の政治姿勢に国民は早くも危うさを感じ始めている。「事の勝敗はその事に当たる人物の如何に因る。(略)人物の如何とは、即ち誠実の有無、正義観の強弱をさすのである。信念の如何を謂うのである」、「冬日の窓」で永井荷風のいう正義観が野田首相に殆んど感じられないのは残念である。
  
 「正義観念の確立は民族の光栄を守る強力の武器である。これ無きところに平和の基礎は置き得ぬであろう。」荷風のこの言葉を政治家諸氏に伝えておきたい。

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