2012年2月20日月曜日

和製漢語とカタカナ語

新任の最高裁判事・大橋正春氏の就任挨拶をどうとらえればいいのだろうか。「一つ一つの事件を誠実に扱っていきたい」13日に開かれた記者会見でこう述べている。最高裁で裁かれる事件は憲法判断に委ねられるものや死刑判決について最終決定を下す場合がほとんどだ。人の命を生かすか否かという重い判決を行うにあたって『扱う』という言葉遣いはそぐわないのではないか、この記事を読んだ時違和感を強く感じた。広辞苑によれば「扱う」という言葉は幅広い意味内容を有しており、現在最も一般的に使われているのは「とりまとめる。とりさばく。処理する。担当する」であり「使う。操作する。使いこなす」がそれに次ごう。他に「気を使う。心配する。世話をする」「もてなす。処遇する」「うわさする。取り沙汰する」等の意味にも使われている。言葉遣いは微妙で繊細なものだが判事の抱負には「とりさばく。処理する」という響きが強い、と感じるのは神経質すぎるか。

 言葉遣いで国会を騒がした「GKB47」はどういう過程でできたものなのだろうか。ご承知の通り内閣府が自殺対策強化月間の標語として採用した「あなたもGKB47宣言!」で使われた言葉でゲートキーパーGateKeeperは門番という英語に自殺しそうな悩みを抱えた人の話を聞く医師や支援者という意味をもたせベーシックBasicに国民全体へ浸透するようにという願いをもたせた和製英語である。勿論人気アイドルグループAKB48をもじっている。既に不謹慎ということで使用撤回されているのでここで重ねて批判しないが一般的風潮として「カタカナ語」の氾濫は目に余るものがある。

 明治維新に始まった外来思想や技術の移入に際して先人は外来語を日本語化するについて涙ぐましい苦労をしている。本来の意味を正しく理解し、受け入れ易く誤解が無いように新しく造語するか既存の語を転用したりして造られた和製漢語は、文化、文明、民族、思想、法律、意識、階級、進化、運動、野球など漢字でできた近代的な概念語の大半が中国韓国などアジア各国で使われていることをみても、先人の苦闘の努力が如何に優れていたかを証明している。

 安易にカタカナ語を多用する風潮と最近の日本人の言葉の軽薄さは表裏の関係にあるように思えてならない。

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