2012年3月12日月曜日

貴と賤と

最近しみじみと「先輩に恵まれた」と思い返すことがある。
社会人になって間もない頃先輩から与えられた苦言忠言は甘やかされて育った身にとって大変ありがたかった、それ故生活規範や人生訓になって今に続いている。
 たとえばその一、酒を飲んだ明くる日は這ってでも会社に出て来い、はどんな時に与えられたかはご想像の通りで若い頃は守るのに相当苦労した。その二は、デリバリー・イズザ・ファースト(納期が第一)で「ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)」と共にビジネスマンなら身に沁みているはず。その三はこんな風に語りかけられた。「市村君なぁ、賢愚、貧富は生まれ育ちでどうにもならない一線があるが、貴と賤は本人次第で律することができるものだよ。」と。今から思うとこれまで何度も一線を踏み外しそうなときがあったが、その都度この先輩の言葉を心に甦らせてやってきた。かといってそれが全うできていたかは判断に苦しむところではあるが。

 貴賤に関してちょっと気になる文章がある。永井荷風の「ひかげの花」の一節である。私娼の私生児として生まれた娘(おたみ)が女髪結いに養女に出される。娘は髪結いの出入先の塚山という御妾さんにひどく可愛がられるがそのうち髪結いに男ができ駆け落ちをしてしまう。身寄りの無いのを不憫に思った塚山さんの妾宅に引き取られたおたみは娘のように大事にされる。その後関東大震災で離れ離れになった娘はいつか母同様に私娼に身を落とす。ある時私娼狩りがあり娘は警察に検挙されてしまう。たまたま新聞で娘の名を知った塚山さんは弁護士を通じて放免の手続きをしてやる。(以下同書より)
 塚山は孤児に等しいおたみの身の上に対して同情はしているが、しかし進んでこれを訓戒したり教導したりする心はなく、むしろ冷静な興味を以ってその変化に富んだ生涯を傍観しようとするだけである。(略)おたみが正しい職業について、あるいは貧苦に陥り、あるいはまた成功して虚栄の念に齷齪するよりも、溝(どぶ)川を流れる芥のような、無智放埓な生活を送っている方が、かえってその人には幸福であるのかも知れない。道徳的干渉をなすよりも、唯些少の金銭を与えて折々の災難を救ってやるのが最もよくその人を理解した方法であると考えていたのである。

 光市母子殺人事件や生活保護不正受給などの報道に接して人間の見方の一様でないことを思う。

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