2012年8月13日月曜日

スポーツ雑感

ロンドンオリンピックで男子サッカーは何故敗れたか。
敗因を3つあげる。その1は永井へのコダワリである。確かに彼はこのオリンピックゲームのラッキーボーイだったし存在感も際立っていた。しかし、怪我をした時点で冷静に対応を判断すべきだった。流れを断つ、流れを変えることに躊躇いがあったに違いないが、怪我の回復が万全でないならすっぱりと次の一手に踏み出すべきであった。しかし指揮官は決断できなかった。再びピッチに立った永井は明らかに動きが鈍かったしキレもなかった。選手の間に『不協和音』が生じるのではないかと、懼れた。なにより対戦相手に付け入るスキを与えてしまったに違いない。怪我の回復が戦いに間に合わなかったとき、永井のツキは潰えたと判断するのが指揮官の務めであった。
2つめは「疲労」であろう。戦前、延長戦を戦ったメキシコの方が疲労度がキツイと言われていたがピッチの動きは明らかに我が方が劣っていた。これは決定的であった。
敗因の第3は「驕り」であろう。日本を発つときの下馬評は予選突破も危ぶまれたほど低かった。それが優勝候補のスペイン戦を鮮やかに勝ち上がりあっという間にベスト4まで上り詰めてしまった。準決勝前の選手のコメントに「絶対勝つ」「金メダルを狙う」などとメキシコ戦はもう勝ったような言葉が飛び交うテレビを見ていて驕りを畏れていた。ゲーム開始早々の前半12分、大津のプレミアリーグ級のミドルシュートが決まったとき、あっという間に『驕り』がチームに浸透し動きに『油断』が生まれた。権田、扇原の怠慢プレーは生まれるべくして生まれたものと言って憚らない。
勝負事は勝ちを当然視したとき、必ず敗れる。

メキシコオリンピック・マラソンの銀メダリスト君原健二さんが日経「私の履歴書」を書いている。まだ始まったばかりだがいくつもの好い言葉があるので記しておきたい(カッコ内は掲載日)。
そのころ抱いたのは、走ることで「ランナーという作品」をつくろうという思いだった。苦しい練習の場はいわばアトリエであり、大会は作品を披露する展覧会ではないか。そう考えると、喜びが沸いてきた。こつこつと作品をつくりあげていく喜びを感じながら、走れるようになっていた。(8.05)
マラソンとはいかに速く自分の体を42.195㌔先にあるゴールまで運ぶかという競技である。体が蓄えているエネルギー源(糖質と脂肪)は決まっている。それをうまく使いながら、できるだけ速くゴールする。そのためにはイーブンペースで走るのが理想的だと、私は信じている。(略)走りながらずっと、理想のペースについて考え続けなければならない。/5㌔まで行ったら、このままのペースで進んでも大丈夫だろうかと考える。修正が必要なら、あと37.195㌔をどういうペースで走ればいいか計算する。疲労の度合いをチェックし、気温や風向きの変化を感じ取ることが重要だ。10㌔地点では残りの32.195㌔の、15㌔地点では残り27.195㌔の理想のペースをはじき出し、速度を微調整していく。/途中でエネルギーが足りなくなってはいけないし、エネルギーを余らせてもいけない。人の動きに惑わされ、ペースを乱すと命取りになる。そういう意味で、マラソンとは人との戦いではなく、自分との戦いだと思う。(8.07)
実に具体的で分かりやすい。これからが楽しみだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿