2012年8月6日月曜日

詩人の預言

詩人は時として大いなる預言者たることがある。次に掲げるボードレールの詩句を読めば更にその感を強くするに違いない。
 「わが親愛なる兄弟よ、文明の進歩をほめそやす言葉を読者が聞く度に、悪魔の最も巧妙な策略は、悪魔なんてものは存在しないと読者に信じ込ませる点にあることを、忘れてはなりませんぞ!」(「パリの憂愁・29気前のいい賭博者」福永武彦訳、岩波文庫より)。

 「近代科学の粋―原子力発電は廉価で環境に優しく電力を安定的に長期の供給を可能にし、最先端の知見をもって多層的に構築された制御装置はいかなる過酷事故にも対応できる万全の体制で安全性を担保している」。この「安全神話」をどうして『悪魔の囁き』と見破ることができなかったのか。チェルノブイリ、スリーマイル島以外にも何度も目覚める機会はあったのに、知性も感性も金縛りにあったように妄信してきた50年。我々はここで悪魔の呪縛から解放されるのだろうか。
 一握りのエリートしか操れない「金融工学」という悪魔のツールで、危うい債務者にガチョウのように強制給餌した「サブプライムローン」を多重粉飾して危険度を薄めたように見せかけ捏造した「デリバティブ」に格付け会社の「優良」というレッテルを貼付し世界中の金融専門家を幻惑した『悪魔の囁き』を見抜けなかったグローバル経済は、いつになったら危機の深淵から脱出できるのか。
 
 「最も救い難い悪徳は、無知によって悪をなすことである」(「パリの憂愁・28にせ金」より)、「魂は手の触れ得ぬものであり、しばしば無益(むやく)、時としては邪魔にさえなるものであるから、それをなくしたことも、散歩の途中で名刺をなくした程の感じも、私に与えることはなかった」(「パリの憂愁・29気前のいい賭博者」より)。
 この詩句は野田首相に捧げよう。彼は「演説上手」といわれているが、野党のころ辻立で声高に訴えていた政治家としての使命感や正義感を喪失し魂をなくしており、言葉のひとつひとつに公正さが微塵も感じられなくなってしまった。財務官僚からレクチャーされた財政危機の深刻さに「恐怖」し政治生命を賭して消費増税を断行しようとしているが、「恐怖」が『無知』から来ることは周知である。

 文学は実学である―荒川洋治のこの辞に限りなくリアリティーを感じる。

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