2012年8月20日月曜日

横チン

  夏はもっぱら半ズボンで過ごしている。先日トイレにたったとき「ヨシ、横チンでやってやろう」と突然思いたった。半ズボンの片裾をパンツと一緒に股間まで捲り上げイチモツを引き出し用を足すのだ。快適!開放感が少年の頃を思い出させた。戦後間もない頃の子供用パンツは前が開いていなかった。従って引き下ろして尻をむき出してするか、横チンでやるかのどっちかだった。パンツの前が開くようになったのは何時ころだろう、はっきり覚えていないが多分市販のパンツが出回るようになって母親が手作りしなくてもよくなったからに違いない。
 2、3年前からボクサータイプのメンズパンツを穿くようになった。はじめは量販店の2枚で1000円のを使っていたがどうも収まりが悪いので下着専門メーカーのを買ってみた。シックリと馴染む。勿論1枚で量販店価格を少し超えるが穿き心地の良さには変え難い。快適さは裁断や縫製の僅かな差のセイなのだろうが、本物と『似たようなもの』はこの僅かな差で違っているのだろう。
 
 デフレが長く続いて何でも「低価格志向」で安いものを買ってしまっているが、それで『僅かな差』を我慢している。「母の手作り」「普段とよそゆき」「家のご飯とごっつぉ」「いい物を長く使う」。20年、30年前まで我々が当たり前としてきた価値観がほとんど顧みられなくなった一方で、「僅かな差」を犠牲にしている。そろそろこの辺で考え直してもいいのではないか。

 東洋陶器(現TOTO)の温水洗浄便座「ウォシュレットG」が「機械遺産(生活の発展や社会に貢献し歴史的に意義のあるもの)」に選ばれた。そもそもは痔疾(等)治療のために開発されたものが一般に普及し、今や日本のみならず西欧先進国や中国の富裕層にまで購買層が広がっているようだ。
 高齢社会のなか「アンチエイジングや健康法」が花ざかりだが、畢竟『快食、快便、快眠』が健康と美容の源泉であろう。毎朝起床とともにトイレに行き排便がスムーズに終えられると思わず「ありがたい」と念じてしまうが「分量、色、におい、太さ」など健康チェックも怠らない。ところが洋式水洗トイレはチェックを難しくしてしまった。ウォシュレットは更にこれを難しくするとともに「排便行為」の『土俗感』まで排除してしまった。とりわけ「におい」を『忌避』する風潮を世間に浸透させたのではないか。
 「におい」に対する『嫌悪の風潮』は少々異常だ。多様な価値観が認められているようで実際はマスコミやインターネットが誘導する「狭い価値観」以外を排除してしまう息苦しい社会になっているようで、不気味だ。

 ウォシュレット育ちの若者が貧困国救済の先頭に立つような人材になれるかどうか、ちょっと心配である。

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