2012年8月27日月曜日

田沼に学ぶ

デフレからの脱却と外交の自立を民主党に託したがその期待は見事に裏切られた。

 歴史を遡ればこれまでにもデフレはあった。新井白石の「正徳の治」における貨幣良鋳に伴う不況、「田沼時代」の経済膨張を受けて行われた「寛政の改革」の引き起こしたデフレ、1880年代前半の紙幣整理のための「松方財政」、1930~31年の「金解禁」にともなう「井上財政」、1949~50年のインフレ抑圧のための「ドッジ・デフレ」であったが、いずれのデフレ不況も明確な政策目標をもったもので、現在のような政策的失敗の積み重ねによる構造的なデフレとは異なっている(杉山伸也著「日本経済史・近世-現代」p520より)。

 現今のデフレを解消するために田沼意次を見直してみたい。
 徳川時代は「年貢制」=米(現物)への直接課税徴税の財政でスタートした。しかし貨幣経済・商品経済が盛んになり18世紀も半ばになると税の公平性の面からも武士経済の安定の面からも商品経済=商人への課税を税制に組み込み、年貢(農業)外収入を恒常化せざるを得ない状況になっていた。田沼はこうした経済のパラダイム・シフトを正確に認識し政治経済体制を改革した敏腕官僚であった。

 日本経済はサービス産業化して久しく製造業の割合はGDPの20%前後に過ぎない。輸出の占める割合は15%と更に少ない。にもかかわらず経済財政政策は製造業、それも輸出関連を重視した政策に軸足が置かれている。今回策定された成長戦略の重点産業として「農林漁業、医療・介護、教育」などのサービス産業があげられているがこれらを成長産業にするためにはこれまで再々指摘されてきた「生産性の低さ」を解消する必要がある。
 教育については最近も話題になった「幼保の統合」が規制の壁で実現できなかった。もっと突っ込んでいえば「文部省検定」の教科書の使用が義務付けられていて経営は補助金頼みで文科省の規制からはみだして先進的あるいは特色ある教育を実現することは甚だ困難で、収益を前面に打ち出すことはタブー視されている。医療・介護は「料金表」が「保険」という形で厳然と存在し、これに縛られない「自由診療」はほんの一部に過ぎない。価格表に縛られない自由なサービスを提供し収益を高めようとしても現状ではほとんど不可能だ。又、農林漁業は規制が厳しく農地や漁業権の流通を自由化するには程遠く、規模の拡大や海外志向の経営などの実現には難しい環境にある。
 要するに、「生産性の低さ」は『規制』により経営の自由度が著しく阻害されているところに起因している側面が極めて大きいのである。

 経済の構造変化を捉えて輸出依存から脱却し、サービス産業を主とした「内需主導」の経済に転換するには『田沼意次』が行ったような大胆な規制改革を実現する以外にないが、道を切り拓く『リーダー』を現政権に期待するのは、もう無理だろう。

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