2013年3月18日月曜日

国土を見直す

 ドライブ旅行で地方の中山間地を走っていて「えっ、こんなところに人が住んでいるの」と驚いたことがある。ポツンと一軒のこともあれば小さな集落のこともあった。一山越え二山越えてすっかり人影も途絶えひょっとして道に迷ったのではないかと不安に駆られながら進んで行くと突然視界が開け眼下に青々とした田んぼに包まれた集落が見えて感激したこともあった。

  何故こんな辺鄙なところに人が住んでいるのだろう。ここに人が住み着いたのは何時頃だろうか。
昨日今日ということはあるまい。かといって風雪に耐えた茅葺き屋根のたたずまいからは明治とも考え辛い。幕藩体制の落ち着いた江戸時代に起源を求めるのが無難なのではないか。しかしたとえ江戸時代だったとしても人里離れた場所に集落や村落が形づくられたについてはそれなりの事情があったに違いない。
 江戸時代は現在の47都道府県が250以上に分割されていたから人々は非常に狭い生活圏で一生を終えていた。それというのも「移動の自由」がなかったから自分の生まれた藩から他の土地へ出ることなど考えられなかったのだ。加えて職業選択の自由がなく「士農工商の厳格な身分制度」で縛られていたから現在の我々の常識は通用しない世界だったと想像できる。一方藩の経済は米産主体の農業が経済基盤を支えていたから絶えず天候に左右される不安定な経営を余儀なくされていた。藩経済安定のためには収量増大が必須でありそのための最も手近で確実な方法は「農地拡大」であった。従って「新田開発」はどの藩にとっても重要施策であったに違いない。最初は藩庁所在近くの開発容易な場所で農民の人夫役などで進められたが次第に荒地や遠い土地を開拓しなければならなくなる。この時期になると農民だけでは労働力の確保は困難になり罪人や浮浪人の強制労働で行われることも少なくなかったのではないか。
 もし現在のような自由が保証されていたら新田の多くは開発できていなかったかもしれない。
 
 限界集落といわれているような地域は現在の価値判断では存在理由がないと思われるかもしれない。しかしその土地が成り立ってきた背景や歴史を考えればそんなに簡単に結論をだせるものではない。無居住地区や人口半減地域の問題も経済効率性だけで軽々に判断してほしくない。切り捨てて『スマートシティ』とか『都市回帰』に置き換えるのは止めてほしい。世界の羨む日本の文化と歴史を「博物館」と観光地という「テーマパーク」に閉じ込めるような悲しい『行政判断』は下して欲しくないのだ。

 今70億人の世界人口が世紀末には100億人に人口爆発すると予測されている。当然食糧とエネルギーの不足は最重要問題であり加えて環境問題が複雑に絡んでくる。単純に現在の経済効率だけで「国土」をデザインすれば必ず後悔する時が来るだろうことは今の「我が国土」を見れば明らかである。

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