2013年3月25日月曜日

田舎漢

「福(さきはひ)の いかなる人か 黒髪の白くなるまで 妹(いも)が音(こえ)を聞く」自分は恋しい妻をもう亡くしたが、白髪になるまで二人とも健やかで、その妻の声を聞くことのできる人は何と幸せな人だろうか、羨ましいことだ。「吾背子(わがせこ)を 何処(いずく)行かめと さき竹の背向(そがひ)に宿(ね)しく 今し悔しも」私の夫がこのように、死んでいくなどとは思いもよらず、生前につれなくして、(割いた竹のように)後ろを向いて寝たりして、今となって私は悔しい。
どちらも万葉集巻七・挽歌に納められている老を詠った歌(作者不詳)だが、前の男性の観念的なのに比して後の女性の歌のなんと官能的なことか(現代語訳は斎藤茂吉)。

六十を過ぎて、もっと日本を知らなければと古文(日本の古典)と漢文を学ぶことにした。李白杜甫と読み進んでいくうちに日本人の漢詩も読んでみたいと「岩波文庫・漱石詩注」を手に取ってみた。これが思いの外好かった。伝わってくる感覚が漢人のものよりしっくりと馴染み漢字・漢語が分かり易いと感じた。次に本格的な日本漢詩人を読んでみようと頼山陽を選んだ。唯一「雲か山か呉か越か。水天髣髴青一髪。(天草洋に泊すより)」という人口に膾炙する聯を知っていたからだ。漢詩集だけでなく「中村真一郎・頼山陽とその時代」という著作を併せて読むことで彼の魅力を一層知ることができた。

その「頼山陽とその時代」にこんな一節があった。「ところで、この対等の男女関係という問題は、さらに『世代』の共通課題として、発展させていく必要がある。/また、彼の獲得した自由が、次の革命的世代のなかで、どのように変貌して行ったか。また、明治維新以後において、薩長の『田舎漢』たちの遅れた男女関係の意識が、新しい支配階級のものとして、時代の道徳を指導するに至って、もう一度、大幅に後退していった(p81)」。維新の薩長政府を「田舎漢」と蔑視する傾向は少なくない。次にあげるのは永井荷風の「谷崎潤一郎氏の作品」にある上田敏の谷崎賛辞の一部である。「敢えてここに郷土の精神という。(略)文明の匂ひが行渡ってる都会にも、深く染込んでゐるものだからである。(略)それが言語に身振に交際に風俗に自ら顕れて、所謂都雅の風を為してる。(略)移住民の一代や二代では、とても模倣し難いこの精神の後景となるものは、鋭い神経の活動に耐えうる心にして、始めて発見する事の出来る都会美の光景と人情である。(略)一国の文明を集中した地に生まれた庇蔭である。これは如何に智識を積まうと、観察を鋭くしようと、過去の文化の承継がない、無伝統の地方人に、ちょっくら模倣の出来ない藝である。」

我々は明治以降の西欧化を近代化と捉え進歩として賛美してきた。しかし「地下鉄サリン事件」と「3.11福島原発事故」はそれを無惨にも否定してしまった。江戸終焉時3000万人超の人口が2010年には1億2806万人にまで増加したがこれは都市による農村の収奪という犠牲がなければ実現しなかった。しかもその代償は「都市の破壊」であった。そして今、2060年に人口が8674万人に急減していくと予測されるに至り、それへの対応として今度は限界集落や無居住地区、人口半減地域を放置したまま「都市回帰」という形で農村を「破棄」しようとしている。

田舎漢の興した我が近現代は結局「都市破壊」と「農村破棄」に帰着してしまうのか。

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