2013年4月1日月曜日

老を嘆くの辞

 横井也有(1702~1783)の「鶉衣(うずらころも)」は軽妙洒脱な筆致から俳文の名作とされている。そこにある「歎老辞(おいをなげくのじ)」も深刻にならず諧謔を混じえながら老いの真を訴えてくる。

 「老はわするべし、又老はわするべからず。二つの境まことに得がたしや」。70歳を超えてくると如才なさと怠惰と狡猾さが身に付き「年寄り」を上手に使い分けるようになる。都合のいい時だけ年寄りぶって、と家族に嫌味を言われることも少なくない。「若い人に好かれようと知ったふりをしても、耳が遠くなっているから聞き間違えたり、若者言葉が分からなくて頓珍漢なことをしてしまう」と也有は嘆く。又、芭蕉は五十一西鶴は五十二で死んでいるのに、病弱にもかかわらず私はもう五十三にもなってしまった、と自嘲しているがこの感覚は自分の両親よりも長生きした時の感懐と似たものだろう。

 ではどれ位が頃合かといえばこんな答えを用意している。「ねがわくば、人はよきほどのしまひあらばや。兼好がいひし四十たらずの物ずきは、なべてのうへには早過ぎたり。かの稀なりといひし七十まではいかがあるべき」。兼好法師が徒然草で言っている四十歳は早死すぎる、かと言って杜甫が古来稀なりとした七十歳は如何なものだろう、というのだ。
 徒然草第七段は次のような文になっている。「住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」   永久に住みおおせることのできぬこの世に、生きながらえて、みにくい自分の姿を迎えとって、何のかいがあろうか。命が長ければ、それだけ恥をかくことが多い。長くても四十に足らぬくらいで死んでゆくのこそ、見苦しくない生き方であろう。「そのほど過ぎぬれば、(略)ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあわれを知らずなりゆくなん、あさましき。」その時期を過ぎてしまうと、(略)ただやたらに俗世間のあれこれをむさぼる心ばかりが深くなって、この世の情趣もわからなくなってゆくのは、まったくあさましいことである。(小学館新編日本古典文学全集44より)。
 杜甫の詩はこんな風である。「朝廷を退出すると毎日毎日春の衣を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで泥酔している。酒の借金は普通のことで行く先々にできている。『人生七十古来稀なり』それというのも人生七十まで生きることが昔からめったにないから、今のうちに存分に楽しんでおきたいのだ」(「曲江二首」石川忠久訳)。

 歎老辞で最も注目したのは次の一節だ。「もし蓬莱の店をさがさんに、『不老の薬はうり切れたり、不死の薬ばかりあり』といはゞ、たとへ一銭に十袋うるとも、不老をはなれて何かせん。不死はなくとも不老あらば、十日なりとも足りぬべし」。不老不死は欲しいが「不老のない不死だけの薬」など一銭で十袋やると言われてもいやだ。不老なら例え十日の命でも十分だ、というのだ。

 医学の進歩と社会保障制度の充実で『不死』ではあるが杜甫の言うような「存分な人生の楽しみ」を堪能しているかどうか、はなはだ自信がない。

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