2013年4月15日月曜日

バブルの物語

 アベノミクスと日銀の黒田総裁による「異次元の金融緩和」の相乗効果で円安・株高が加速しているが、デフレ脱却に繋がるか注視していく必要がある。しかし一時1兆円を割り込んでいた東証1部の売買代金が連日3兆円を超え日経商品指数(17種平均)が150に近づく勢いを見せているのを見ると大いに期待が膨らむ。一方今の時点で「円安による物価高」を非難するマスコミの定見のなさに注文をつけておきたい。これは当然予想されていた「過程」であり、「過剰な円高」を解消して「通常のあるべき状態」に日本経済を引き戻し世界市場での「適正な競争」を実現するために避けて通れない「物価高」である。この試練を超えて日本経済の成長力を復活させなければ「デフレ脱却」は実現しない。視聴者受けを狙った「市民の味方」を装う愚かさをマスコミは恥ずべきである。

 気が早いかもしれないが転ばぬ先の杖を慮って「バブル」について考えてみたい。テキストは「新版・バブルの物語(ジョン・K・ガルブレイス著 鈴木哲太郎訳)」である。
 「(バブルという)あらゆる金融上の革新は(略)資産を『てこ』とした(略)負債創造(が実体なのだが)それは(今まで何度も繰り返し行われてきた)やり方を変えただけのことであるにすぎない。これまでのあらゆる危機は、基礎となる支払手段に対して負債が危険なほど多すぎるようになったことに関連するものであった」。
 では何故こんな分かりきった愚かさが繰り返されるのか。「金融上の記憶というものは、せいぜいのところ20年しか続かないと想定すべきだ、ということである。或る大きな災厄の記憶が消え、前回の狂気が何らかの装いを変えて再来し、それが金融に関心を持つ人の心をとらえるに至る、というまでには通常20年を要する。またこの20年という期間は、新しい世代の人が舞台に登場し、その先輩たちがそうであったように、新世代の革新的な天才に感銘するに至る、というまでに普通要する期間である」。
 バブルを防ぐにはどうすればよいのか。「唯一の矯正策は高度の懐疑主義である。すなわち、あまりに明白な楽観ムードがあれば、それはおそらく愚かさの表れだと決めてかかるほどの懐疑主義、そしてまた、巨額な金の取得・利用・管理は知性とは無関係であると考えるほどの懐疑主義である」。具体的には「金と密接にかかわっている人たちは、ひとりよがりな行動や、ひどく過ちに陥りやすい行動をすることがありうる、さらにそういう行動をしがちである、ということである」。更に「興奮したムードが市場に拡がったり、投資の見通しが楽観ムードに包まれるような時や、特別な先見の明に基づく独特の機会があるという主張がなされるような時には、良識あるすべての人は渦中に入らない方がよい。これは警戒すべき時なのだ」。

 バブルと政府の関係はどうか。「アメリカにおいては、政府というものは自由企業・自由市場の敵であると考えるのが古典的な伝統になっていて、政府は傍観者である。ところが日本では、政府は資本主義的活動の―マルクスの用語を使えば―「執行委員会」である。安定を支え、投機の行き過ぎを予防するために、政府も一役買うだろうと考えられている」。

 「暴落の前には金融の天才がいるということはウォール街の最も古い通則であり、今後もこの通則が再発見されることになるであろう」。ガルブレイスの警告である。

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