2013年4月22日月曜日

教育の責任とは

 この時期、毎夜2時頃になると一旦眠りが途切れる。晩酌の酔い覚めと尿意のセイだと思うが胎内時計が冬型から春型に調整しているのかもしれない。その証拠にこの時期を過ぎると太陽が昇る時間(今なら5時過ぎ)に目覚めるようになる。勤めがあったときは明日を考えて無理にでももう一度眠ろうとしたものだが今は枕元の読みさしの本を好きなだけ読むこともある。こんなとき、しみじみ年金生活は有難いと思う。
 
 人間の体は実に良く出来ている。それに比べて世の中の仕組みはどうも旨くいってない。尖閣、竹島の領土問題や理不尽極まる「反日運動やデモ」で日中、日韓の関係がギクシャクしているのは両国の日本教育が原因だということは周知のところである。誤った歴史観(我が国にとって)や反日教育が今日の状況を生み出しているのであって、教育が政治権力に隷属し手段として使われることの悪弊は明らかだ。にもかかわらずまたぞろ我が国でも教育を権力の麾下に置こうとする動きが頭をもたげている。政府の教育再生実行会議が提言した教育委員会制度改革にある「教育長を自治体首長が直接任免できる」体制のことだ。
 そもそも教育委員会制度は戦前の軍国主義教育が我が国を第2次世界大戦へと突き進ませた根本的な原因であるという「反省」にたって戦後教育改革の重要な柱として導入したものである。教育の政治からの独立性を保証し権力のためでなく国民のための教育を実現する制度を目指した。そのため教育委員は公選制であったがいつの間にか首長の任命制に変えられた。そして教育長は委員の互選で決められていたのが今回の提言で教育長も首長の直接任免性に変更されるという。我国の初等中等教育は教科書も国の検定のもとにあるから(先進国で検定制をとっているのはドイツくらいでその他の国は自由採択か認定制をとっている)教材も教育行政も独立性を著しく損なわれることになる。
 
 今回の再生会議の提言は明らかに我が国初等中等教育の改悪である。が、現行の教育委員会制度がこのままでいいということではない。「教育ムラ」で委員会が占拠され閉鎖的密室的な教育行政に陥る危険性の高い現状を改め責任の所在を明確にするよう早急に改革されるべきである。
 現行の中央集権的教育制度は大まかにいって明治維新に形成されたがその前の江戸時代は藩別に藩校を設け特色ある武士教育を行っていたし、平民は地域の私塾や寺子屋(主に子ども)で教育を受けていた。こうした歴史は我が国固有のものでなく世界共通の傾向であり教育というものは本来自生的で地方分権的であるのが自然な形なのである。従って改革の方向性は「地方分権」であり、「教育行政の専門家集団」を育成し彼らが主導権を執る教育委員会を目指すべきである。政治からの独立性を担保することは当然だが教育の実行者と教育行政の峻別も重要な視点である。

 しかし、教育の責任とは何なのだろうか、そして教育委員会の責任とは。改めて国民相互の意思の共有化を図るとともにこれ以上公教育を劣化させないことが我が国再生の根本であると考える。

0 件のコメント:

コメントを投稿