2013年8月12日月曜日

相撲協会や柔道連盟で何故不祥事が起こったか

 日本相撲協会、全日本柔道連盟で不祥事が相次いで起った。しかし自助努力での再建はならず監督官庁たる文科省や総務省の勧告があってやっと組織の立て直しが行われそうな状態だが、何故最も日本的なスポーツ界で「潔さ」の微塵もない無様なことになったのだろうか。
 
 戦後日本の大きな節目は「バブルの崩壊」だった。そしてこれは単なる経済社会の出来事ではなく日本社会全体の大転換点でもあった。
 戦後の荒廃から僅か10年で「もはや戦後ではない」という復興を成し遂げ、以来73年まで平均9.1%、74年~90年は平均4.2%という高度成長を達成した。しかし91年2月のバブル崩壊から2012年の間0.9%という低成長とデフレが続いている。こうした経済の動きの下で「戦前世代から戦後世代へ」という大転換が起こった。私は1941年生まれだが戦後の新教育制度の全過程の階段を昇った最初の世代になる。1924年以前に生まれ終戦までに教育を終えている人たちが戦前世代(従って65歳で第1線を退くのは1990年前後になる)で、25年~40年生まれの人たちは過渡期世代になろう。戦前世代が優勢だった60年70年代を経て80年代には企業上層部で戦前世代から戦後世代への入れ替えが進んだ。戦後世代が優勢になっても新入社員の再教育再訓練によって戦前思想は力を保ったが、80年代後半になると企業社会での覇権は戦後世代に移行した。従ってバブル崩壊は戦前世代の完全な撤退期に重なっていたと見てよかろう。

 戦前の日本人の価値体系は儒教によって与えられていた。これに反して戦後は自由主義、個人主義を道徳価値の支柱とする教育が行われ、これはアメリカ流の理想を日本の子供に植え付ける意図で遂行され、儒教を基とした家庭の重要性と国家への忠誠を強調する旧教育とは対立し、個人主義は利己主義を助長する結果を招いた。
 戦前教育と戦後教育のもうひとつの大きな相違点は漢文(と漢文読み下し文)教育の採用不採用にある。日本語は、感情面を「やまと言葉」で論理面を「漢字と漢文」で、という二つの側面を併せ持った体系になっている。ところが戦後教育は漢字を極端(2000字程度)に制限し漢文(漢文読み下し文)教育を日本語教育から排除した。これでは日本人の「論理的思考能力」が劣化して当然である。
 儒教的倫理観の欠如は地域のコミュニティー機能の低下や親殺し、親の育児放棄や子殺しとなって表れている。言語の論理機能の劣化は創造性の弱化や専門性の低下に繋がる。そのひとつの例証としてノーベル賞受賞者が島津製作所の田中耕一さんとiPS細胞の山中伸弥教授以外に戦後教育を受けた人から出る可能性が少ないと見られているところにも窺われる。デフレの原因が「イノベーション力の劣化」にあるとすれば論理能力の低下は少なからず影響しているに違いない。
 儒教思想の一典型である「武士道(新渡戸稲造著)」の次の一節にも不祥事の一因がみえる。「あらゆる種類の仕事に対して報酬を与える現代の制度は、武士道の信奉者の間には行われなかった。金銭なく価格なくしてのみ為され得る仕事のある事を、武士道は信じた。(略)価値がないからではない、評価し得ざるが故であった。(略)蓋し賃金及び俸給はその結果が具体的なる、把握し得べき、量定し得べき仕事に対してのみ支払はれ得る。(略)量定し得ざるものであるから、価値の外見的尺度たる貨幣を用ふるに適しないのである。弟子が一年中或る季節に金品を師に贈ることは慣例上認められたが、之は支払いではなくして献げ物であった。(略)自尊心の強き師も、事実喜んで之を受けたのである」。

 相撲界、柔道界でも世代交代は起こっているから指導層に儒教的価値観が無くても仕方がない。組織改革を自力で行うことができないのは、現状認識力と問題析出力の欠如と問題解決する綜合力の欠落という「論理能力」の劣化以外の何ものでもないであろう。
(この稿は「なぜ日本は行き詰ったか・森嶋通夫著」を参考にしています)

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