2013年11月18日月曜日

人生後期と読書

小説を読む楽しみの最大のものは、やはりいかにも長い小説を読みとおすということであるように思います。(略)(源氏物語に挑戦して読み終えたとき)人生の大切な出来事がひとつ終わったという気持ちになったものです(「小説の経験・朝日文芸文庫」より)。
 
これは大江健三郎の言葉だが私も今年はじめてこの「楽しみ・よろこび」を経験することができた。中村真一郎の「頼山陽とその時代」を読破したのだ。A5版細字上下2段組み本文総頁数644頁の大部なものだがこれは小説ではなく頼山陽についての評伝風エッセーで彼の成長の過程と著述(「日本外史」など)とを編年体で語りつつ、師友や弟子たちの「漢詩」をアンソロジー的に網羅した大作である。もしここ6~7年の漢詩と古文の読書歴が無ければとても手に負えない難物であった。
60歳を過ぎて今までのような乱読を改め系統立てて読書をしようと思い立ち、振り返ってみて「森鴎外」を余りに読んでいないのに気づき鴎外から始めた。そして何故か「西行」を古典のとっかかりにした。漢詩は岩波文庫で始めたが当時NHKで放映されていた「漢詩紀行」を見、司会の「石川忠久」を知りNHKライブラリーにある彼の「漢詩をよむシリーズ」を読んで一挙に親しむことができた。漢詩に限らず新分野に挑戦するとき入門書と自分に適したシリーズ(全集)というものが必要で私の場合は日本の古典は「小学館・新版日本古典文学全集」が読みやすく「光文社・古典新訳文庫」が無ければカントやニーチェは理解することなしに人生を終えたに違いない。同様に「万葉秀歌・斎藤茂吉著(岩波新書)」という名著を読まなかったら万葉集の面白さを知るのがもっと遅くなっていただろうし万葉集になじめたことがその後の古典への興味を促してくれた。入門書とは別に優れた「書評集」を知ることは「悪書」に冒されない最善策であり「快楽としての読書・海外篇・丸谷才一著(ちくま文庫)」は私の偏った読書領域を限りなく広げてくれた。
このような過程を経て永井荷風の「下谷叢話」に至り相当手古摺りながらも読みきったことが一つの転機となった。これは荷風の外祖父鷲津毅堂や大窪詩仏、大沼沈山といった江戸後期漢詩人たちの群像を鴎外の史伝に倣って描いたものだがこの作品がなければ「頼山陽と…」に行き着くことはなかった。荷風と中村の作品に接することで江戸後期の漢詩人たちの作品の完成度の高さと同胞故の微妙な感情の一致―李杜に代表される中国の漢詩とは趣を異にする―を知り併せてこの時代の文化が西欧のそれと比較して何ら遜色のない程度にまで発展していたことを思い知らされる発端となった。同時にそれは60歳を過ぎてからの読書の総決算として「明治維新」の再評価に繋がり、今日に及ぶ「西欧化」への根本的な疑問を抱かせる契機に転じることになった。

人生後期における読書については「小説の経験」にある次の二人の言葉が心に残っている。「そこ(これまでのキャリア)に、照らしあわせながら、あらためて文学の基本的なそれも大切なところを押さえた眺めを、新しい心と感覚でたどってみたい。そうすることで自分の隠退後の人生の必要なものをかちとりうるような気がする」。外交官だった友人が隠退するに際して「文学再入門」を大江さんに頼んだ時の言葉だが障害児を抱えながら懸命に生きてきた主婦の次の言葉も印象的だ。「子供の世話にかまけてなにも深いことは考えず、追い立てられるようにして生きてくるうちに、それでも不思議なことですけど、いまならトルストイのことがよくわかるのじゃないか、それだけの心と身体の経験はかさねているのじゃないか、という気がしますから……」。
「頼山陽と…」を読んだことが弾みになって、発刊当時の「読みたい」がそのうち「読まねばならない」に変わり30年以上宿題になっていた小林秀雄の「本居宣長」を読むことができたのも大きな収穫であった。「やまと心」と「ものの哀れ」を「古事記伝」と「紫文要領」などを通じて説き起こした本居宣長を描いた小林畢生の名作は「究極の言語論」であり今後の私の読書と思索に最大限の影響を与えるものに違いないがこれについてはおいおい触れていきたい。


隠退後の人生の必要なもの、を、いまならよくわかるだけの心と身体の経験をかさねている「老いたる人たち」に読んで欲しい。今日を「終わりの始まり」として。

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