2014年2月17日月曜日

老いらくの管見

  羽生結弦選手がソチ冬季五輪で日本人初の金メダルを獲得した。弱冠19歳の彼のどこに強さがあったのだろう。
彼にあってほかの選手に無いものは何かを考えてみた。「3.11東日本大震災」がそれではないだろうか。宮城県仙台市出身の彼は競技生活断念を考えるほどの苦悩を経験した。そして復興のためにできる自分の最大限の表現が世界の頂点を極めることであると『決意』して再スタートを切ったその底には大自然の不条理な脅威に対する激しい憤りをも秘めていたかもしれない。それは競技生活を通じて獲得できる根性や精神的な強さを超えた強固なもの、人間存在に関わる強靭さになっていたのではないか。
一方『我々側』は、グローバル競争に打ち勝つためには安価な電力が不可欠である、とか、為替の経常収支の赤字化を防ぐためには化石燃料輸入増大による輸入過剰を抑制する必要があるなど「経済至上主義的観点」から「安全な原発の再稼働」を早急に実現しようとしている。しかし原発が停止したからといって経済は停滞ないしはマイナス成長に陥っているか。むしろ反対にデフレは後退し緩やかなプラス成長に向かっているではないか。アベノミクスのせいだというかもしれないが、それだけで片付けていいものだろうか。
3.11東日本大震災という未曾有の惨事をプラスに転じて金メダルを獲た『弱冠19歳』に我々は大いに学ぶべきである。

人間70歳を超えると発想が自由になり見えていなかったことが見えたり、今までとは全く別な見方ができたりしてくる。若い人の自由な発想、とよく言うが若いうちは学ぶことが多く学習したことに縛られてむしろ保守的になりがちなこともある。とりわけ「勉強のよくできる」若者にその傾向が強く優秀な官僚もその種のタイプであることが多いようだ。
アメリカ型資本主義をグローバル化と称して世界標準にしようという試みが我が国でも強くすすめられているが本当にそれは正しい道なのだろうか。本場アメリカでは99%の人たちが「拡大した格差」のもとで7%近い失業に苦しんでいる。リーマンショックによる金融危機から脱出するために「非伝統的量的金融緩和」を行ってアメリカ景気は上向きつつあるが、過剰資本を引き上げられた新興国は不透明な経済状況に追い込まれている。こうしたアメリカの自分勝手な振る舞いによる世界的経済不安は戦後度々繰り返されてきた。「老いらくの管見(小さな管から覗いたような年寄りの狭い偏ったものの見方)」を言わせてもらえば、戦力と経済力に物を言わせてアメリカは自分のことだけを考えて身勝手な行動をとってきたのだ。
例えば、第2次世界大戦で本土を壊滅的に破壊されなかったというアドバンテージが無かったら、金本位制から脱却して何の裏付けもなく「基軸通貨ドル」を無尽蔵に創出できる体制をつくれたアドバンテージが無かったら、第2次世界大戦をはじめとして冷戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などの『戦争特需』というアドバンテージが無かったら、アメリカ経済は『模範となるような経済成果』を産み出す経済システムであっただろうか。
世界恐慌から回復を果たしたとして評価の高いルーズベルト大統領のニュー・ディール政策が成功を収めたのは第2次世界大戦という軍需の増大がアメリカ経済を牽引した結果であるという見方があるように、第2次世界大戦でヨーロッパをはじめ日本などが壊滅的損害を受けた「供給力の絶対的な不足状況」のなかで唯一供給力に打撃を受けなかったアメリカが「売り手市場」で過剰な利益を蓄積できた有利さは誰が考えても明白であろう。


冷戦が終結して唯一の覇権国として君臨したアメリカを、賞賛しそのシステムを無批判に「模範」として受け入れることからそろそろ卒業して、冷静に多様に検証する賢明さが求められている。

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