2014年5月19日月曜日

黒い雨

 小学校5年だったと思うが定かではない、映画鑑賞で新藤兼人の『原爆の子』を観た。被爆の惨憺たる場面に衝撃を受け感想会で「あんなすごい場面がどうして撮れたんだろう」と発表した。すると映画館の館主の息子とその仲間の子が「あれはトリックや、本物と違う」(何にも知らん奴やなぁ)と言外に小馬鹿にしたようなニュアンスを含ませた発言した。しかし私は頑強に反論し本物説を主張した。後年、担任だった女先生の困惑した表情を懐かしく思い出す。
 
 一般被爆者の症状は、何ということもなく体がだるく重くなって、数日にして頭の毛が痛みもなくすっぽりと脱落し、歯もぐらぐら動きだして抜けてしまう。体がぐったりとなって死んでしまう。もし発病初期に体のだるさを感じたら、何よりも先ず休養して栄養を摂ることが肝腎である。無理を押して仕事をするものは、下手な植木屋が移植した松の木のように、次第に気力を失って生命を断って行く。(略)被爆を免れたつもりで広島から至極元気で帰郷して、一箇月か二箇月ぐらい根をつめて働いたものは、一週間か十日ぐらい床について死んでしまった(p11)。
 両手で顔を撫でると、左の手がぬらぬらする。両の掌を見ると、左の掌いちめんに青紫色の紙縒状のものが着いている。また撫でると、またべっとり付着する。/僕は顔をぶつけた覚えがなかったので不思議でならなかった。灰か埃が、垢のように縒れるのではないかと思った。また撫でようとすると、夫人が僕の手首を抑えた。/「駄目、撫でちゃいけません。薬をつけるまで、そっとして置きなさい。撫でると、手から黴菌が入ります(p51)。
 大勢の患者は病室に入りきれなくて廊下に溢れ、看護に来たものや人探しに来たものは足の踏場もない有様だ。しかもピカドン患者の熱は急速な伝染力を持っており、体質によっては無病であった看護人の方が、看護されている患者より先に死ぬことがある(p257)。
 保健婦たちと違って焼跡を歩きまわった救護班員は、高蓋村では二十一人のうち現地で一人死んで、帰ってきて原爆病で十一人が死んだ。焼跡を歩きまわったというだけでこの有様だ。来見村では十六人のうち、十五人が死んで一人生きている。仙養村では全部のものが亡くなった。(p279)。
 主人は被爆してから十日間くらい便秘しておりました。おしっこも少しずつしか出なくなっておりました。とにかく凄い爆弾だったらしくって、手首のところなんかべろっと剥げました。あれは透過光線と云うのだそうで、体の外側ばかりでなくて内臓にも作用することが分かりました(p337)。
 
 以上は井伏鱒二の「黒い雨(新潮文庫)」からの引用である。野間文芸賞昭和41年度受賞作品で広島原爆罹災者の体験談を題材にしている。すべてが誇張でなく被爆直後からの実録である。私たち世代は「第五福竜丸ビキニ環礁水爆実験被爆事故」も知っている。当時は「死の灰」ということが盛んに言われて「雨に濡れたらアカン。鼻血が出て毛が抜ける」と警告された。
 数日前から漫画「美味しんぼ」の福島原発事故に関する記述が問題視されている。漫画の内容についてあれこれ批判する積もりはさらさらない。そうではなくて、原爆のように瞬間的に莫大な量の放射線に被爆する症例と、チェルノブイリにみられる短時間の原子炉溶融による被爆と、福島原子力発電所のの場合の緩慢な原子炉溶融による被爆のそれぞれについて、科学的なデータ収集と検証を何故丁寧に行わないのか、という疑問なのだ。原爆も原発もほんの僅かばかりの知見に基づいた『拙速な見切り発車的な技術』の実用であって、原発は廃炉術すら実用化に至っていない未熟なものである。従って「被爆治療」はまだ端緒についたばかりで詳細は人類未踏の領域に属する「確たる知見」のほとんど無い「医療分野」と断言して間違いない。にもかかわらず、確立した科学的根拠なしに「安全宣言」する暴挙を何故指弾しないのか。
 
 原爆も原発も100年単位で何世紀にも亘って人類が謙虚に取り組むべき技術である。

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