2014年5月5日月曜日

地方分権を歴史的に考えてみる

 藩民の大部分は百姓たちで、彼らにしてみれば年貢を納める相手が藩から新政府に変わって、大した違いではなさそうだが、事実はやはり違いがあった。新政府に変わると、地租改正その他で地主の生活は苦しくなり、そうなると地主は小作人に圧力を加え、これまで以上に厳しく年貢を取り立てた。藩政時代には小作人を余り過酷に扱うと、小作人は一揆を起こしたり他藩へ逃亡したりした。そうなると藩主は責任を問われ、悪くすると藩の取り潰しにもなるから、それなりに藩は領民の百姓に手加減を用いた。しかし新政府の県知事は、中央集権の役人であるから、県民を保護しても功績にならず、もっぱら重税を課して機械的にそれを吸い上げるだけである。このように、中身は封建制度のままで表面だけが近代国家に移行した明治の庶民は、社会の下積みにされたまま、中世と近代の手枷足枷を二重にはめられて苦しまなければならなくなったわけだ。
 
 これは安岡章太郎の「歴史の温もり」からの一節である。徳川幕府設立当時の人口が凡そ1300万人だったものが明治維新政府発足時には3000万人を超えるまでに人口増加した。これは全国が300以上の藩に封ぜられ藩が経済安定のために新田開発や産業振興に努め、日本国土があまねく開発された結果である。割拠した武士集団の勝手に任せておけば肥沃で温暖な土地に集中したであろう人口が徳川幕府の圧倒的権力によって有無を言わさず国土全体に藩を設置したから「国土の均衡ある発展」が達成されたのである。こんな辺鄙なところにも人が住んでいるのかと驚かされるのも、こうした事情のなせる業であろう。
 明治維新以降経済の発展に従って、特に戦後の急速な工業化に伴った「都市の農村からの収奪」によって人口の大移動が起こり「都市化」が進展し、「東京(圏)一極集中」という「極度に歪んだ人口構成」に陥った状態が現在の我国の「国土経営のかたち」となっているのである。
 
 さてそこで問題は「現在から近未来の国土のあり方」である。少子高齢化によって人口が減少に転じ「限界集落」や「買い物難民」、更に近年は「巨大地震の津波被害による地盤沈下」なども加わって「国土経営」をどうするかが大きな問題になってきた。ところが「問題解決の視点」が「今ある都道府県制度」に固執しているから根本的な「国民的合意」を形成することを困難にしている。
 先に述べたように「今の国土形成のあり方」は徳川幕府の「幕藩体制」が基礎になっているから「現在から近未来の国土のあり方」を考える場合は「今ある都道府県制度」を一旦ゼロベースにして考える必要がある。
 最大の問題点は「東京(圏)一極集中」をどのように取り扱うか、であろう。昨今「一票の格差」で東京圏を主として都市住民が「不公平」を声高に訴えているがこれは問題の所在を根本的に誤った主張である。我々国民の権利義務は多岐に複雑に展開している。選挙権はそのほんの一部に過ぎない。都市化によって都市住民が享受している『恩恵』は衰退地域の地方住民の何倍にもなるであろう。仕事と高所得に恵まれていることなど枚挙に暇がないからそのいちいちを揚げる贅を省くが結論を言えば、恵まれいることは無視して選挙権に不満があるなら「満足できる地方に移ればよい」のである。
 権力によって無理矢理全国くまなく住むことを義務付けられていたのだから人の往来が自由になれば人の住まない地域ができるのは自然である。人が交わりを欲するのは当然だからコミュニティーを求めて「都市化」するのは必然であろう。しかし東京一極集中ではなく緩やかな都市化を全国的にすすめる必要がある。しかし将来の「絶対的食料不足」に備えるため人の住まなくなる地域の国土保全を如何に行うかも重要な観点である。
 
 明治維新以来の(政府)権力による「国土の不均衡な経営」の犠牲になってきた『地方の権利』を尊重した「国家経営」が「現在から近未来の国土のあり方」を検討する際の基本的な考え方にならなければならない。

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