2014年7月14日月曜日

科学的ということ

 1ヶ月ほど前肘痛に襲われた。普段は何ともないのだが肘を突いたり肘をテコに体を動かすと激痛が走る。普通なら「整形外科」を受診するところだが皮膚科へいった、なんとなく勘が働いた。しかし皮膚科は門前払い、整形へ回されたが「どこも悪くない」と薬も処方してくれなかった。そこで素人考えで「保湿剤」を肘に塗布してみた。相当荒れてカサカサになっていたから。他に打つ手がないのだから仕方がない、10日ほど続けた。すると、何と、痛みが消えたのだ。
 膝痛の妻が「整形外科」で「ヒアルロン酸」の注射を打って貰っていた。しかし一向に改善が見られない。「マッサージはイヤだ」と拒否し続けていた妻が「藁にも縋る」思いでマッサージ院へいった。1週間も経たないうちに痛みが和らいできた。もう3週間院へ通い続けている。ヒアルロン酸はどうするのだろう。
 皮膚科の30代の女医さんは自身が修めた「医学知識」とこれまでの経験が全てなのだろう。しかし「老人医学」はまだ日の浅い領域だから未知の部分やこれまでの医学の「通念」の『想定外』のことが多いはずだが、そうした認識がなく柔軟性に欠けていると云ったら言い過ぎだろうか。妻の場合は「西洋医学」への『盲信』が「東洋医学」へのタメライとなっていたに違いない。
 
 超高速計算機「京」を使った「台風の予測」が具体化しているようだ。止めた方がいい。気象学や地震学は未知の部分が多く他の科学分野に比べて「完成度」において相当開きのある学問だと思う。その気象学を援用して「京」で予測作業を行っても結果の信頼性は「学問の完成度」より『飛躍』するとは考え難い。
 「ビッグデータ」ビジネスが加速している。しかし「費用対効果」を考えると疑問を抱く。それなりの結果は出るだろうが『革新的』成果は望み薄と言わざるを得ない。何故ならデータの基になっている「人間行動」が「通念」に支配されているからだ。「通念」通りに行動している「データ」をいくら「大量」に集計し推論したところで「通念」以上の結果が出るとは思えない。セブン&アイ・ホールディングスの鈴木会長も似たような考えでいるらしい。
 「アラブの春」が思ったような進展を見せていない。今回の大規模反政府民主化要求)デモや抗議活動「インターネットによる呼び掛け」が発端であった。インターネット・メールやSNSは「書き言葉による短文」で構成されている。ところが、書き言葉というものは非常に不完全なもので加えて『意の尽くせない』短文では益々「不完全なコミュニケーション手段」とならざるを得ない。呼び掛けで「刹那的な行動」は起こされたがそれが『革命的群集』になり得なかったのは「ITツールの限界」ではなかろうか。
 
 「医学(学問)の限界」や「インターネットやITツールの限界」を検証せず、いわば『盲信』して、「新しい波動」が世界を覆い尽くそうとしている。『危険な兆候』ではないか。「いつか来た道」のような『悪寒』が伝わってくる。
 「(太平洋戦争敗北の)深刻な反省を試み、何がわれわれに足りないのであるかを精確に把握しておくことは、この欠点を克服するためにも必須の仕事である。その欠点は一口でいえば科学的精神の欠如であろう。合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。が、そういうことの起こり得た背後には、直観的な事実にのみ信頼を置き、推理力による把握を重んじないという民族の性向が控えている。推理力によって確実に認識せられ得ることに対してさえも、やってみなくてはわからないと感ずるのがこの民族の癖である。それが浅ましい狂信のはびこる温床であった」。和辻哲郎が敗戦後の昭和25年に上梓した「鎖国」で述べているこの言葉がズッシリとした重みを持って迫ってくる。
 
 集団的自衛権行使の容認、従軍慰安婦問題に関する河野談話の検証、秘密情報保護法、武器輸出三原則の見直し、…。列挙してみると明らかに何かの『指向性』を感じる。加うるに格差の拡大と横溢する閉塞感。
 「いつか来た道」との『符合』を見ないか。

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