2014年7月21日月曜日

ひとつの仮説

 マスコミの不定見にはなれていたはずだが今回ばかりは呆れた。1ヶ月ほどまでは「都議(国会議員)セクハラ発言」を声高に糾弾していたものがある日を境にして一転「兵庫県議号泣記者会見」ばかりでセクハラ発言は1行も、いや1秒も取り上げなくなってしまった。勿論号泣会見に端を発した「政務活動費」の不明朗な会計処理問題は地方政治正常化の重要なスッテプに違いないが、それと同等以上に「女性の社会進出」を妨げる「男性社会の壁」打破は日本経済の成長戦略上重要なことではなかったのか。これは提案なのだが、マスコミ(テレビ)各社は毎日放送している報道情報番組の中に『長期追跡コーナー(仮)』を設けて重要なテーマを週1回10分でいいから継続して放送してもらえないだろうか。セクハラ問題が発言者一人の「会派離脱」だけで「問題解決」とされてしまうのでは余りに歯切れが悪。この伝で政活費の不正使用が兵庫県議会だけの問題で終焉とされるのも納得いかない。ご一考願えれば幸いである。
 
 介護保険の報酬支払いに「成果報酬型」を採用する方向で厚労省が検討を始めた。介護サービスを通じて要介護者の心身の状態が改善されたかどうかが事業者に支払われる介護報酬に反映されていなかったこれまでの報酬体系を改善することで膨張する介護給付費に歯止めをかけたいとしている。現在は要介護度が高いほど報酬が高い制度設計になっているので改善によって要介護度が下がると支払われる報酬が減額されるからサービスの質や効果を高める動機が働きにくい欠点があった。移行に際しては介護の質を評価する客観的評価基準を整備することが必須の条件だが、要介護者の立場になれば生活内容の向上が最も喜ばしいのだから、是非改善してほしい。
 ここでひとつの仮設を考えてみる。施設運営(経営)者にすれば受け取る報酬を少しでも多くしたいから介護状態を改善する方法をいろいろ探究するに違いないが、技術的に可能なものと困難なものがあるに違いない。とすれば改善し易い分野に偏りが出る可能性はないか。要介護者が切実に希望している改善の難しい分野がナオザリにされないだろうか。制度を設計する二際してはこうした面にも細心の配慮をしてほしい。
 
 教科書のデジタル化に規制の壁が立ちはだかっている。法律では教科書は「紙」に規定されており紙以外は「教材」になる。教科書は国費によって無償だが教材には国費補助がない。
 紙の教科書の発展型は長い歴史からほとんど出尽くしていると見て間違いなかろう。デジタルは紙教科書の置き換えがスタートになるから其の差は大きい。ひとつの仮説をたててみよう。算数の教科書を考えてみる。小学高学年になってくれば勉強の好きな子は高いレベルに進みたい意欲もわいてくる。小学校で「代数」の初歩を履修した子どもが更に高度な段階を学びたいと「クリック」すれば中学、高校の教科書へ連動するようなシステムに設計してあれば「特進」できる。より専門性の高いレベルに興味がわけば大学レベル、院レベルにも進むこともできる。このようなデジタル教科書ができれば、今望まれている「天才少年少女」の発掘にも道が広がる。
 教科書のデジタル化と検定の廃止は我国の教育を根本的に新しくするに違いない。
 
 ベネッセの情報流出問題が傘下の情報管理会社の委託先に勤務していた出向社員の持ち出しということで一応の解決に向かいそうだ。しかしどうも落ち着きが悪い。ベネッセの社長に原田泳幸氏が就任したのが6月21日、情報流出が表沙汰になったのは7月9日、そして7月16日犯人逮捕。ベネッセの発表によれば6月26日頃から苦情が急増し問題を把握、7月7日に漏洩を確認したと言うことになっている。これもひとつの仮説だが、以前から通信教育業界では情報管理が甘かったのではないか。そこへ他業種の、それも外資系企業で揉まれた原田氏が就任して事の重大さを認識させられ慌てて「膿を出す」ことになったのではないか。こうした見方があながちうがった見方でないような気がするほど一連の流れがキレイ過ぎる。
 
 情報過多のこの時代、メディアの流しっぱなしの情報を鵜呑みにするのではなく疑問を持って、自分で仮説を立てて疑ってみる習慣を身につけることも大事なことである。

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