2014年7月7日月曜日

集団的自衛権と小さな終わり

 安倍内閣による集団的自衛権行使容認の閣議決定は三権分立における行政権の法権侵害であるとか、個別的自衛権は行政権の一部と容認することは可能でも集団的自衛権は紛れもなく軍事権であり憲法違反である、と声高に批判することは容易だが、政治家や官僚は批判をかわすための『屁理屈』を考案するのはお手の物だからわれわれ一般庶民は簡単に丸めこれてしまいそうだ。こんなときは「外国人の目」がこの事態をどんな風に見ているかが参考になる。
 
 ベトナム国営紙トイチェ(電子版)は6月30日付で「日本は歴史の転機に立つ」と報じ、ASEAN諸国の一部では日本が安全保障面で存在感を高めることへの期待がい。韓国外務省は1日の報道声明で「集団的自衛権の行使が朝鮮半島と韓国の国益に影響を与える場合は『韓国政府の要請または同意がない限り決して容認できない』」との立場を改めて表明した。中国外務省の洪磊副報道局長は1日記者会見で「日本平和発展の道を変えるのではないかとの疑いを禁じえない」「日本の軍事・安全保障政策重要な変化をもたらす」と指摘した。
 オバマ政権は今回の閣議決定で「日本の役割拡大」に向けた手続きが加速することを歓迎している。国防費の大幅削減を迫られる米国のアジア戦略は日本など同盟国との連携強化が柱となっており、集団的自衛権の行使が認められれば米軍と自衛隊の協力範囲が広がることが期待されるだろう。米国防総省当局者は「新たな政策を歓迎する」「この歴史的な試みは日米同盟における日本の役割を高め、地域の平和と安定に貢献する」と強調した。
 
 「歴史の転機」であり「戦後堅持してきた平和路線を変えるのではないかとの疑い」また「軍事・安全保障政策の重要な変化の疑い」をもたれるのは間違いないようだ。「日本の役割拡大」と「日米同盟における日本の役割を高め、地域の平和と安定に貢献する」ことが期待されているのも確実だ。安全保障上の「役割拡大」は「軍事費の拡大」に結びつき、そのことによって平和路線に変化があるとすれば「戦力の使用」に踏み切る「歴史的転機」を果たした、と「外国の目」は見ていると考えるのが妥当であろう。
 安倍首相がいくら強弁しても、国内的には丸め込むことができても、外国の認識を都合よく誘導することは難しい。同盟国アメリカがどこまで『信頼』できるかという根本的問題を含めて関連法の整備を冷静に監視していく必要がありそうだ。
 
 閑話休題。8年前、わがまち桂の住宅地のど真ん中に1軒の喫茶店ができた。幹線道路とは1区画隔たっており駅からは徒歩10分以上かかるこんな場所で果たして喫茶店が成り立つものか大いに疑問だったが、案に相違して店は大繁盛した。女店主の美貌が第一だが人気の原因は他にも考えられる。
 この辺りは30年以上前から開発が進んだ地区で住民の多くが60歳前後に高齢化していた(だから今では平均年齢が70歳近いことになる)。高齢者だが健康な人が多く地区の老人会や地域包括センターの支援サービスには馴染めない―要するに昔あった自然発生的なコミュニティ機能や気晴らしが求められていたのだ。この世代には『喫茶店文化』根づいており400円前後の喫茶出費にはほとんど抵抗のない世代であったことも幸いした。常連さんのグループが時間帯ごとに幾つかできコーヒーのうまさも手伝って客同士やママさんとの会話が弾み、お店の外でのカラオケや飲み会を楽しむ機会もあって『コミュニティ』機能は見事に果たされた。
 
 その喫茶店が突然閉店することになった。困ったのは『常連さん』たちである。明日からどこへ行けばいいのか思案してもスグには当てがない。別にコーヒーがそんなに好きだったわけではない、慣れ親しんだ「喫茶店という空間」―そこでのたわいない無駄話とゆるやかな交わりが快適だったのだ。。いまではもう廃り果てたそんな空間が、突然できて突然消える。お客には不条理だが店主には店主の事情があるのだからうらみ言をいっても仕様がない。
 
 集団的自衛権は国家の一大事だが、まちのちいさな喫茶店の突然の閉店は常連さんにとって決して『小さな終わり』ではない。
 

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