2014年10月20日月曜日

般若心経

 仏壇を開きお水を汲み般若心経を唱えるのが日課になっている。幼い頃から朝仏壇を拝むのを習慣としていたが十年ほど前念仏を声出して唱えるようにしたところ、諳誦(声を出さずに心で唱えること)とは異なる雰囲気を体感した。頭から緊張が解(ほど)けて軽い浮遊感におそわれ声を大きくするにつれて雑音が遠のいて「南無阿弥陀仏」というお念仏に包まれるようになる。ひょっとしたらこれが「法悦境」というのかもしれない、そう思った。「うちのお寺の坊さんにお念仏を出してと言われるのだが照れくさくてできないでいる」と友人の一人が言っていたのを思い出す
 たまたまEテレで「100分de名著―般若心経」をみてこのお経が世界中で受け入れられているのを知った。経中頻繁に出てくる『空』という語に文明人を『解放』する力があると佐々木閑花園大教授が解説していた。最終回「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボヂソワカ」というサンスクリット語をそのまま音訳した経文について「意味の無い音を呪文として受け入れることで救われる」と解説に「私はこれまでまったく逆の生き方をしてきたから素直に理解することができない」とやや嘯(うそぶ)き加減に反問するお笑い芸人が気にかかった。彼は、言葉を概念として正しく理解し論理的に勉強してきた、といいたかったのだろう。この太り気味の芸人は「賢(かしこ)タレント」に類しておりクイズ番組などで活躍しているのだが、このようなEテレの教養番組にレギュラー出演しているとは驚きであった。彼のこの発言(NHKのことだから台本にあったのかもしれないが)ははしなくも「言葉に対する誤った考え方」を如実にしている。
 
 言葉に「概念的機能」が付与されたのは歴史的にみればそんなに昔のことではない。むしろ初め言葉は呪文として表れたといった方が正しい。生きるための導きを求めて『憑依(ひょうい)』する力(神と同化し神の言葉を代言する)を有する呪術師に縋(すが)らざるをえなかった遠い古、彼女や彼の「お告げ」の言葉に霊力を感じてひとたちは「呪文」を唱えることで苦しみや怖れ、痛みから解放されていただろう。「詩」が生まれて「時間」が「かたち」になり氏族が形成された。記憶が「言い伝え」として連綿とつながれ、それが「文字」に写れたのはずっと後のことだ。「ことばの文字化」が『概念としての言葉』を生んだ。印刷が発明されて多くの人に「伝える」必要が高まって『概念としての言葉』が重要性を高めた。近代になって『概念としての言葉』が肥大化して「言葉」を貧しいものに貶(おとし)めた。「音」よりも「文字」が有力になり、「書かれた文字」よりも「文字の伝える概念」のみが「言葉」として流通するようになった。
 
 和歌は短冊(や木簡)に「筆書き」されたもの―印刷された文字の連なりだけでない、大きさと文字の姿かたちと墨のながれの「総体」が『和歌』なのであって、それを声出して唱和されて「完全な和歌」になる。そういうものであるらしい、しかし我々にはそれ理解できない。文字は「印刷文字」以外にも多くの形を持っているが明朝体かゴシックが大勢力を誇IT時代になってPC文字がハバを利かせるようになってきた。
 般若心経を声に出して唱える。漢字で書かれたお経を目で追っているとおぼろ気がながら「意味」が湧いてくる。音と文字と意味が渾然となって高揚してくるなかで「呪文」に出会い大声で唱えると、一挙に「自分が消えた」ように感じる。
 
 至るところ、悦びと、ぼろ儲けと、そこ抜けの騒ぎがあった。至るところ、明日の日のパンに対する確信があった。至るところ、生活力の熱狂的な爆発があった。しかるにここには、絶対の悲惨、最早技巧ではなく、真の必要がかえって巧みなコントラストを生んだ、異様ななりをした悲惨、滑稽な襤褸(らんる)に、加えるに恐怖を以て装われた悲惨がある。(ボードレール「パリの憂愁・年老いた香具師」福永武彦訳岩波文庫)。1860年代初頭に書かれた「散文詩」の伝える『格差』の悲惨さは「概念」で綴られたどんな「論文」より「直截的」に訴え、怒りを醸成する。詩のもつ呪術的情念は『概念としての言葉』では決して伝わってこない。
 
 った「賢(かしこ)お笑い芸人」を嘲笑(わら)うのは簡単だが彼ばかりを責めて済ませられないところが何とも悩ましい。
2014.10.21
文学文化1793文字
464/254 市村 清英
 

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