2014年11月17日月曜日

明治維新の目指したもの(2)

 世界経済は今(2013年)74兆7000億ドルまでに拡大しアメリカは16兆768億ドルで1位、以下中国9兆4691億ドル日本4兆8985億ドルだが1人当りGDPで見るとアメリカ5万3千ドル中国6千960ドル日本3万8千500ドルとなっている。ちなみにインドは1千510ドル(国のGDPは1兆8800億ドル)にすぎない。今年になって世界経済はひとりアメリカだけが不況を克服して量的緩和を終了したが日本はデフレ脱却したばかりで成長ゾーンへはまだまだ先の状況であるしEUは最大国のドイツまでがあやしくなってセロ成長に近い。新興国経済も中国、ロシア、インドを含めて低成長に陥っている。特に中国は成長のエンジンであった労働力が減少傾向に転じて人口ボーナス期を過ぎ構造転換を図らなければ「中所得国の罠」に陥りかねない状況にあるから深刻である。
 一方世界の人口は今年遂に70億を超え70億4400万人に達し中国が13億8400万人インドが12億3600万人で上位を形成している。世界のすべての国が「経済成長」を目標として国の運営をするのは結局のところ国民が豊かになるためであり現在の目安では1人当りGDP2万ドル以上が「豊かさの尺度」となっている。現在の状況で中国インドという人口超大国がしゃにむに2万ドルの経済規模をめざしたとすると(香港の1人当りGDPは3万7千900ドル台湾は2万900ドルである)中国のGDPは276兆7000億ドル、インドは247兆2000億ドルにならなければならず、現在の規模からの増分の両国合計は512兆6500億ドルになり現在の世界経済規模74兆7000億ドルの約7倍になる。半分の1万ドルでも増分は3.4倍に近い。これは実現不可能な数字であり、地球を7個増やすしか実現できない経済規模である。
 
 ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと覇権国が変遷するなかで世界経済は膨張を続け20世紀になってアメリカが覇権国として世界経済を牽引してきた。冷戦が終結し資本主義自由主義経済が唯一の経済原理となってグローバル化し世界経済が統合された。しかし今や「経済成長」を唯一の『尺度』として『世界運営』の行える可能性は極めてゼロに近いことを認識すべき時期に差しかかっている。
 中国が近隣国との友好関係を無視して海洋覇権に執着し世界中の資源の収奪をねらって行動しているが、有能な中国指導者たちにしてみれば近い将来の世界経済を見通した至極当然の戦略と考えているに違いない。遅れてきた「インド」もまた現状のままの『運営指針』で世界が運営されていくのであれば中国の跡を追うのは当然だろう。
 『遅れてきた超大国』をいかに世界に取り込むか。先進国の『賢明な包容力』が求められるが具体的に世界経済をどのように展開していけば良いのだろうか。
 
 「有限な資源の効率的活用による世界の人々の豊かさの実現」即ち「貧困からの解放」を基本理念にすれば「個人の豊かさ」とは無縁の「戦力」に資源を利用する余裕は全く無いことは明らかだ。当然『戦力のゼロ化』は選択すべき最大の手段である。
 「気候温暖化のもたらす地球規模での異常気象」はまったなしの危機水準にある。一日も早い温暖化対策を世界規模で取り組む必要がある。そこで『炭素税』を先進国に課し先進国の成長にブレーキをかけそれを世界ODA(政府開発援助)として途上国に配分する仕組みは考慮に値するのではないか。不満をもつ先進国があれば『共通ではあるが差異のある責任』を基準として世界的に負担を求める方法もある。
 豊かな社会の「格差」をを是正して『不必要な豊かさ』を削除し国全体の大きさ(GDPの)を『理由のあるダウンサイジング』するという考え方は先進国の「勇気ある撤退」の覚悟が試される選択肢である。
 こうした施策を実行するためにこれからの社会はどんな価値を尊重して運営すればよいかについては先に揚げた「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」が「現代社会には、お金に換えられない健康、安定、尊敬、人格、自然との調和、友情、余暇という7つの基本価値がある」と提言している。検討する価値は十分にあろう。
 
 我国の明治維新が踏み出した「近代化=西欧化」という「成長基準」の国家運営を多くの「遅れてきた国々」が採用せざるを得ない状況に追い込まれて「今日」がある。しかしこの「価値基準」は「限られた強国の連合」という『部分』では機能したが『世界大』という『全体』を管理する基準としては『自己破壊』に繋がる『矛盾』を孕んだものであったことに気づかされた。『成長』は「戦争の世紀」であった『20世紀の遺物』に成り果てる運命にある。
 ではどうするべきか。大問題である。

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