2015年2月15日日曜日

「よい暮らし」してますか?

 先日久し振りに家電量販店に行った。入ってスグの一番目立つところはスマホが占領していた。興味がないので先へ行くとPC(パソコン)があった。スマホに比べると展示スペースも狭く何よりきらびやかさがない。隔世の感を覚える。目を転じるとテレビコーナーがある。大型画面のテレビが相当数展示されていてちょっと前のさびれた感じはない。しかしほとんどが「4K」テレビで値段を見ると安くても17~18万円している。そのせいかお客の姿が殆んどない。
 国の電波行政のゴリ押しで地上放送がデジタル化されたのは2012年の3月だった。ブラウン管テレビはまだ十分見られるにもかかわらず薄型テレビを買わされた。それからまだ3年経っていない。デジタル放送自体は10年ほど前から行われていたから早くにデジタルテレビを買った人はそろそろ買換え時期かもしれないが一般的には4Kテレビを買おうとは思わないだろう。そもそも今のテレビ(放送内容)は面白くないから20万円も出してテレビを買う気はまったくない。報道によればテレビ局も地デジ化に相当な資本が必要だったから4K設備の導入に消極的という。多分東京オリンピックの頃には足並みが揃うかも知れないが、それでも4Kテレビでオリンピックを見たいかと問われれば「うーん」と思案してしまう。年寄りだから暇つぶしにテレビは必需品だが映っていればいいという程度だからそれ以上の機能の必要は感じない。時計だってそうだ。時間を知りたいのであってそれ以上の価値は求めていない。若い人ならスマホがあるから時計は要らないという人がほとんどだろう。最近のファッションは流行が早いから3年前のものでは恥ずかしくて表を歩けないと若い女性が話していた。
 
 日本経済新聞が行った「アジア10カ国の若者調査」が先日の新聞に掲載されていた。月収と余裕感の調査でインドネシアが日本(22万円)より低い約7万円の月収であるにもかかわらず経済的余裕があると答えた割合が8割近いのに驚かされた。ちなみに余裕を感じている若者は日本は25%韓国は28%どまりだがベトナム(月収はインドネシアと変わらない)は74%と、収入の比較的低い国で余裕を感じている若者が多い傾向を示していたのが印象的だった。
 最近まで貧しい生活を送っていた発展途上国がここ10年ばかりで経済が急成長し月収が大幅に増えたから「豊かさ」が実感でき経済的余裕を持つようになった、という側面はあるかもしれない。しかしそればかりではないだろう。身の回りにある「商品」の数が少ないという事も影響しているのではないか。商品の種類も多くないだろうし「グレード(廉価品から高級品の)」も限られているに違いない。とにかく「必要」が満たされればいい、そんな経済の発展段階にあるとみるのが正しいかも知れない。
 
 先の家電量販店のテレビコーナーの大画面には先ごろ「イスラム国」に虐殺された後藤健二さんの報道で、彼がシリアの避難民地域で活動している姿と避難民の子どもの目だけが異常に大きい病苦に喘ぐ姿や破壊されつくした現場の貧しい様子が映し出されていた。同じ地球上で、同じ時間に、こんなに格差があることに何も感じなくなっていることに空恐ろしさを感じる。この「不条理」と「矛盾」に、誰も、何も感じないとしたら、政治は勿論のこと哲学も経済学も余りにも無力ではないか。
 
 シャープやパナソニックが薄型テレビに大資本を投入して経営が怪しくなって数年、今また4Kテレビである。パソコンが一世を風靡して情報コミュニケーションと企業活動に革命が起こったが、今やスマホとパッドが主流になってきた。品質のよい生地の洋服を大事に着る、という風潮は殆んど消えて「タンスの肥やし」ばかりが増え「断捨離」なる言葉が流通するようになった。次から次へと新商品が開発されて消費者は他人(ひと)が持っているから、と「無理矢理」買わされているようだが、で、『よい暮らし』をして『豊かに』なったかと問われて「ハイ、充実しています」と言い切れる人はどれほど居るだろうか。
 ユニセフの「マンスリーサポート・プログラム」という案内が時々送られてくる。毎月僅かな金額を継続して募金することで「貧困国の子供の救済が出来る」という募金だが、どれ程の人が協力しているのだろうか。不必要に高機能の商品を作る資源を途上国の「必要」に『譲る』ほうが「グローバル経済」―『世界中から貧困を無くす経済』としては『効率』が良いのではなかろうか。
 
 「必要を贅沢の犠牲にしてはならない」という考えで「グローバル経済」を『再設計』できる経済学こそが、今必要なのだと思う。

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