2015年6月14日日曜日

 最近のテレビから

 気がつけばいつの間にか新聞を手指を舐めてめくっている。数年前、スーパーでビニールのレジ袋を舐めてくつろげている妻に「みっともないから止めなさい」と注意した自分がひとり買い物に行ったとき、備え付の濡れナプキンを使うのに躊躇し結局指を舐めて袋の密着を解いた。どこの誰が使ったか分からないナプキンを不潔に感じたのだが、今では平気で指先を湿らせている。慣れは恐ろしい、それ以上に慣れる無神経さに老いを感じる。
 
 最近「役立たずの樹」という話をNHK・Eテレ「百分で名著・荘子」で聞いた。『荘子・人間世(じんかんせい)篇』に出てくる話で大凡こんな内容である。匠石(しょうせき・大工の石棟梁)が斉の国を旅して曲轅という地にやってきたとき、土地神の社の櫟(くぬぎ)の神木を見た。幹の周りが百抱えもあり山をも見下ろすばかりの高さがあって数千頭の牛さえ覆いつくすほどの木陰には多くの人が憩い市場のようなにぎわいであった。しかし匠石は目もくれずすたすたと通り過ぎてしまった。弟子が驚いて訊ねると匠石はこう答えた。「櫟という木は、船を造れば沈んでしまう、棺桶にすると腐ってしまう、道具をつくると壊れてしまう。あの木は『役立たずの樹』だからあんなに大きくなったんだ」と。
 確かに果実のなる木は実をもがれ、檜のような丈夫な木は社殿や家に使われる。そこへいくと櫟は脂がふきだしたり虫食いが激しいから使い物にならないかも知れない。しかし『役立たず』だからこそ何百年と長生して立派に育ち「神木」になり、人から崇められ木陰で人に安ぎを与えるような大木になれたのだ。荘子はこのような話を多く語って「無用の用」ということを教える。
 『老い』は今の「効率」万能の世にあっては否定的な面―社会保障制度の年金や医療費の負担面など―ばかりで判断されるが、困ったことだ。しかし困ってばかりではいられないのであって、世の大人たち―老人たちが「役に立つ木」ばかりでは世の中が旨くいかないよ、と身をもって若い人に分かってもらえるような存在にならなくては、この先何十年とつづく高齢社会の我国を円満に運営することはできなくなってしまう。
 ここは一番、年寄りが「熟考のとき」だ。
 
 もうひとつ、NHK総合「生命の大躍進・こうして母の愛が生まれた」で教えられたことを披露したい。
 哺乳類は約2億2500万年前に誕生した。ジュラマイアと呼ばれるネズミに似た原始哺乳類の化石が中国遼寧省の約1億6千万年前の地層から発見されている。原始の哺乳類は産卵していたらしい。それが「胎生」に進化したのは子どもの誕生の安全のためであった。産卵場所に外敵が襲撃してくると咄嗟のことなので母親は我が身の安全を図って卵を置き去りにして逃げなければならない。その結果卵は外敵に奪われ子どもを失ってしまう。もし体内に子どもを「孕む」ことができれば子どもを伴ったまま逃げ遂げることができる、こうした積み重ねが哺乳類の「胎生」という突然変異を現象した。「胎生」の過程でどうしても克服しなければならない遺伝子変化があった。それは母体の「免疫機能」の減退である。胎内に異物が発生すればそれを殺す免疫機能が母体に備わっていたのだが、それを「PEG10遺伝子」を取り込むことで胎児を免疫で殺さない安全な母体に改造できたと番組は語っていた。
 『孕(はら)む―妊(みごも)る』と胎児が母体から栄養を吸収するために「胎盤」が必要器官として発生するがこの器官はそれ以外に重要な役割をもっていた。「胎盤」を通じて胎児との「交感」が生まれ「胎盤からのサイン」が「母の心」に大きな変化を与えるのだ。脳内に特別なホルモンが発生しこのホルモンが「我が子への特別な愛情」を芽生えさせる。母親の我が子への特別な愛情は、哺乳類の2億年を超える進化の過程で獲得した大切なものなのだということがこのテレビを見ていて感動的に感得することができた。 
 授乳の場面を見る機会は無いが、乳母車を押しながら「スマホ」に耽る若いお母さんを多々見ることから類推して、授乳時も同じなのではないか。最新の科学はこうした母親の行為が幼児の精神形成に極めて重大な悪影響を及ぼすと教えるが、哺乳類―人類の進化の過程を知れば当然のことと納得できる。
 
 最近のテレビは「俗悪」極まる。が、探せば「珠玉の名編」もある。そんな番組に出会ったとき「テレビも捨てたものじゃない」と嬉しくなる。テレビマン諸君、頑張って欲しい!

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