2015年6月27日土曜日

結婚しようよ!

 私は男ばかりの五人兄弟だがすぐ下の弟を幼くして亡くしている。父は八人兄弟姉妹で弟のひとりは幼逝、妹二人は小学校を卒へる前後に死亡し一人は俗名がない。事ほどさ様に戦後のある時期までは多産であったが多死でもあった。貧困と衛生状態が悪く医学も進歩していなかったからであろう。高度成長を経て豊かになると共に医療が進歩し幼児の死亡率は著しく改善され平均寿命が驚くべき伸長を遂げた。にもかかわらず我国は「人口減少期」を迎え「少子高齢化」が進むという皮肉な現象を呈している。
 少子化の原因を窺わせるひとつの傾向が先ごろ発表になった「少子化社会対策白書」にみえる。
 結婚適齢期の20~30代の若者に「恋人が欲しくないか?」という意識調査を行った結果、女性の39.1%男性の36.2%が「欲しくない」と答えた。収入別に見ると収入がない層では男女とも約半数が「欲しくない」と答えたが、収入が高くなるほど恋人が欲しい率が高まり、男性は年収400万円以上で79.9%女性は200万円以上で70.7%が「欲しい」と回答している欲しくない理由は、面倒だ、興味がない、趣味や仕事・勉強に力を入れたいなどが大勢を占めている。
 
 経済的な理由は大きいだろう。昨今の情勢では非正規雇用が4割近くになり非正規の平均的な月収は男性21万円前後、女性16~17万円になっており女性が結婚相手に望む年収400万円以上とは相当開きがある(正規雇用の平均月収は40万円を超えている―以上は厚労省資料による)。しかし昔、「手鍋提げても…」とか「一人口は食えぬが二人口は食える」と言っていたことを考えると何かが大きく変わっているように思う。考えるに「幸せのメニュー」というものが皆の頭に刷り込まれてしまってそれに圧倒され怯んでしまっているのではないか。例えばテレビ・冷蔵庫や自動車は勿論のこと細々とした「物のリスト」があり、子どもの学歴や就職先、持ち家の取得時期などからなる膨大な「幸せのメニュー」が無鉄砲な(我々世代の多くがそうであったような)結婚を踏み止まらせている可能性はないか。
 
 しかしそうであっても「孤独と性」への切実な「向き合い」とそれからの「脱出の渇望」があれば『躊躇(ためらい)い』は乗り越えられると思うのだがどうだろう。
 最近の若者のスマホ依存は顕著で20代で2時間以上30代で1.5時間近くある(テレビ新聞等4マスコミを含めたメディア接触時間は20代で7時間以上30代で6時間以上になっている―博報堂「メディア定点調査2014」より)。このことの意味は「孤り」でいる時間が圧倒的に少なく絶えず「誰か(何か)」と繋がっているということになる。親・兄弟との同居であれば尚更だ。「孤独」と切実に「向き合う」ことから「逃出している」ようにさえ感じる。これでは「他者」との「緊密な結びつき」への「渇望」は起こり得ようがない。3.11以降「絆」がクローズアップされ家族や友達との交わりが見直された時期があったがその後どうなったのだろう。
 「性」についてはどうだろうか。
 今から思うと私たちの若い頃は性に対する興味と欲望が異常に強かった。女性に対する「憧れ」が強く「恋」に恋する傾向が無きにしも非ずでもあった(特に女性の場合は)。他に楽しみが少なかったという側面も否定できないこともあって性の快感に圧倒的に支配されていた。翻って今の若者は「性的快楽の代用品」が多すぎる。刺激的な遊びが多様であるうえに性情報が氾濫している。文字情報しかなかった時代では想像力で欲望を解消するしかなかったが、性風俗が氾濫し劇画、写真、動画、ビデオと情報過多の今では具体的かつあからさまに性欲の解消が可能になっている。俗悪極まる、劣情を刺激する以外に何もない情報にまみれてしまっては女性への「憧れ」が萎んでしまうのもし様がないかもしれない。こんな状況の中では異性に対する性の欲望があいまいになるのも当然だろうか。
 
 いつだったか「ひとり飯」を見られるのが嫌でトイレで食事する学生が少なくないというテレビの報道に接っしたことがあった。孤独にあることを誇り「孤高」を楽しんだ我々世代との隔世の感を禁じ得なかったが、ゆるくても、あいまいであろうとも、他者と「友人」として繋がっていないでは「不安」に駆られるという傾向、「突き詰める」ことから誰もが『逃避』する風潮は如何ともしがたいか。
 すべてが「孤独と性」をあいまいにしている。
 
 少子化対策を経済面からアプローチすることは大切だがそれだけでは解決しないということも知っておく必要がある。
 

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