2015年11月15日日曜日

新卒一括採用制度を考える

 もう50年以上前になるが私の就活の話を聞いてほしい。
 出版社で編集の仕事をやりたかったのだがその年、私の在学していた学校への求人枠はゼロだった。そこで東京へ乗り込んで神田の主だった出版社へ軒並み直談判して採用試験を受けさせてほしいと希望したが全く受け付けてもらえなかった。今ではそんな制度は信じられないだろうが、「指定校制度」というのがあって各企業から学校へ採用試験受験者数の割り当てがあってその枠内の学生数しか入社試験が受けられなかった。私の場合東京の出版社の枠がなかったから東京へ無理矢理出張ったわけで指定校にならなかったら原則その学校の学生は希望の会社の入社試験は受けられなかった。
 とんでもない『差別』かもしれない。しかし学校の特色を把握している人事担当者が学校別に採用枠を割り振って選抜を行えば必要な人材を確保できると考えられていたから多くの企業がこの制度を採用していたし学校と企業のあいだの信用関係もあって合格者の入社拒否はほとんど無かった。大雑把な業種と職種の希望はあったが拘りはあまり無かったから希望とは違った会社であっても内定したらその会社へ入るのが当たり前というのが一般的な風潮であった。解禁は4月だったと記憶しているが大体夏休み中には採用決定していて、残った半年で卒論をやっつけるというペースが平均的な学生生活だった。 
 
 「就活の解禁が前倒し」になるようだ。安倍首相の「学生を学業に専念させるよう考慮して欲しいという希望で4月から8月に就活の解禁が後ろ倒しされた就活日程が来年の就活解禁は6月に前倒し 経団連、1年で方針転換」という『朝令暮改』状態になったということだ。会社説明会を始める時期(大学3年の3月)、正式な内定解禁(大学4年の10)は今年と同じで変わらないらしい
 しかしこれで学生の就職活動が正常化するかといえばそうはならないだろう。問題の根本は、内定をできるだけ多くもって最も希望にかなう企業を選択できるという現在の就活制度にある。斬り捨てられる企業側はたまったもんじゃないだろうし、内定が一部の学生に偏って内定がなかなか決まらない学生には不平等な制度に感じるだろう。
 そもそも学生数が多すぎる。大学進学率は優に5割を超えているのだから学生の質にもバラツキがある。そのうえ『差別』が許されない今の時代では「指定校制度」も導入できないから企業は膨大な採用費用をかけて選抜業務を行わなければならない。
 
 根本的な問題は「新卒一括採用」という就職制度にある。企業が卒業予定の学生(新卒者)を対象に年度毎に一括して求人し、在学中に採用試験を行って内定を出し、卒業後すぐに勤務させるという世界に類を見ない日本独特の雇用慣行で、この制度は「日本型」といわれる「年功序列型賃金制度」を維持していくうえで不可欠の制度として導入された。何故なら勤続年数で賃金が決定されるからスタートを一緒にしなければ同じ学歴と卒業年度でありながら入社年度が異なると賃金に差が出るからだ。
 しかしデフレが進行するようになってから、生産性向上のために「能力給」の導入の必要性が叫ばれ、年功序列型賃金制度との訣別を企業は望んでいたはずなのに『抜け駆け』を危惧して抜本的な就職制度の改革に踏み出せず、いまだに「新卒一括採用」に企業は止まっている。
 
 東大が「10月入学」を打ち出したのもこうした現状を学校側から打破しようという意欲の現われだったと思うのだが、尻すぼみになってしまって実現は危うい。優秀な人材確保がこれからのわが国の企業成長に欠かせない要因であるなら『就職規制』を撤廃することだ。自由競争にして各企業が工夫を凝らして採用制度を革新することだ。わが国の現状を見れば所得格差が拡大して就学の機会均等が阻害され可能性を秘めた若い人材が親の所得という「外部要因」の影響で才能を開花させられずにいる。このまま放置しておくとわが国労働力の質的低下は免れない。人口減少が必然化している現在、そのうえ質まで劣化してしまったのでは生産性向上は望むべくもない。企業が奨学金制度を独自に設立し就学機会に恵まれない優秀な若者を「囲い込む」のも一策ではないか。
 
 幾つもの内定を平気で斬り捨てている学生の『モラル』が何故問題にならないのか。それは今の就職制度が矛盾をはらんでいるのを皆が知っているからだ。
 改革は急を要する。
 

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