2016年2月14日日曜日

ゼロ金利の庶民感覚

 マスコミの報道で驚かされるのは「オレオレ詐欺」の被害額の多さだ。勿論マスコミは多額の事件を選んで報道しているのだががそれにしても二千万円四千万円という金額にはあきれるほかない。更に、そんな大金が銀行や郵便局でなく身近に、タンス預金でもっていることになおのこと驚いてしまう
 しかしよくよく考えてみるとあながち驚くには当らない状況に庶民が置かれていることに気づかされる。被害者は大概高齢の女性のことが多く地方の例も少なくない。高齢になるとわざわざ銀行へ出向くことが億劫になるしまして昨今のATMは操作が難しく手に負えない人も多いにちがいない。地方には金融機関も少なくあっても遠くて不便なところにあるかもしれない。利子も100万円預けて一年に二円か三円くらいのものなら預ける手間、引き出す面倒さを考えたら「タンス預金」で十分と考える人があっても不思議はない。
 二十年前頃までは百万円を十年預けておけば百万円の利息がついた。バブルがはじけて金利が下がり続け「日銀ゼロ金利を宣言」という事態になったと思っていたらとうとうマイナス金利に突入してしまった。金融の専門家が熟慮して出した政策だからそれなりの効果を見込んでいるのだろうが庶民の感覚で言えば、もともと0.02%だったものがゼロになろうがマイナスをつけようが大して違いはない、ちょっと物騒だが「タンス預金」で済ませればよいのであって、公共料金の引き落としをどうするか、それくらいが面倒なだけだ。(それにしても利息収入の大幅減は庶民にとって大打撃でこれが消費不振の大きな原因と考えるのは素人考えだろうか。)
 
 問題は「物価が上がらない」ことにある。デフレマインドが払拭できないから企業が貯め込んだ「内部留保」を吐き出さない。投資や賃金が増えないから消費が落ち込んだままで景気が上向かない、インフレにならない。この悪循環を断ち切ろうと「量的質的金融緩和」を三年もつづけてみたけれども一向にラチが明かないからついに「マイナス金利」という法外な手に打って出たのだろう。いずれにせよこうした政策は人間の「期待」や「将来の見通し」に訴えかける手法なのだろうが、思ったように動かないのが人の気持ちでエライ人の計算通りにことが運ばなくても当然といえば当然と言えないこともない。
 賃上げが思ったほどに進まないのは消費について誤解があるからで「消費は将来の賃金見通しに基づいて行われるから賃上げは一時的なボーナスではなく基本給のべースアップにつなげる必要がる」という考え方がそれだ。確かに生きるために必須の食費や水道光熱費また将来への備え(結婚や持ち家の建設費、子供の教育資金など)は基本給で賄いたいしそれだけの収入は安定して得たい。しかしテレビや冷蔵庫などの耐久消費財や旅行、自分へのご褒美の装身具や高級腕時計などの贅沢品はボーナスを当てにしていることが多いように思うし好景気時の「熱い消費の盛り上がり」はむしろこうした商品への消費が主役なのではないか(株高で資産所得を手にしたお金持ちが高額商品を購入するという消費行動はこれを証明している)。賢明で堅実な庶民は住宅資金や教育資金は食費を切りつめてでも毎月確実に入ってくる給料で貯蓄するものだ。
 高齢世代が経験した「高度成長」はもう来るはずのないことで従って高インフレもないのだから、ベースアップにこだわらずに儲かったときには思い切ったボーナスで社員に応える、「労働者」もそれで納得して、グローバル時代に即応した機動性のある会社経営のし易い賃金体系に改めるほうがどちら―経営者も労働者も、ひいては投資家も―にとっても好都合なのではないか。
 
 マイナス金利で思い出したのは、もう相当むかしのこと、給料が銀行振込みになったとき、何となく物足りなく淋しい気持ちになったこと、現ナマの持つ一種妖しげな魔力を実感したことである。金融当局はマイナス金利にすれば銀行が日銀に預けてるお金が減少してその分が融資に振り向けられる考えているのかも知れないが、庶民からの預金が集まらなくなってそもそもの融資の原資が不足してしまうような事態になる可能性もあるのではないか。それほど庶民の「現金志向」は何年も前から強まっている。もし「貯蓄から投資へ」誘導しようとしているのなら庶民は「株」を信用していないし今年になってからの金融市場の混乱はそうした傾向を更に強めたに違いない。
 それよりも、ほとんどの企業で給与が銀行振り込みになっており公共料金等の口座引き落としも常態化し、ネット取引も飛躍的に増加している現状で「マイナス金利」が一般の普通預金にまで波及してタンス預金に逃げてしまうようなことになれば、社会構造を根本的に再構築しなければならなくなる可能性のほうをむしろ問題視しなければならないと思うのだが、専門家はいかがお考えだろうか
 
 最先端の金融理論の実験場であるかの様相を呈している現在の世界金融市場。犠牲になるのはいつも弱いもの――先進国の一般庶民や世界の弱小国――という構図は絶対にあってはならない。 

0 件のコメント:

コメントを投稿