2016年6月13日月曜日

『老衰』という生き方

 最近高齢者の騒音などのご近所トラブルが多い。何故彼らが突然キレるのか?不健康だからだ。
 我家の隣に小学校がある。かなりのマンモス校で元気のいい子どもたちの声で溢れており老いた夫婦ふたりのシンと静まり返った暮らしに活気を与えてくれる。ところが先日軽い風邪で寝込んだとき子どもたちの騒ぎ声が「ウルサイ」と感じイラだちを抑えきれなくなった。辛うじて妻に当りチラスことなくのりきれたが、少しの「不調」で普段は何気なく過ごしていることがこれほど精神的負担に転じるのに驚ろいた。
 ことほど左様に老齢になって「快適」に過ごすことは難しく、才能とテクニックのいることに多くの人は気づいていない。目が見ずらい、耳鳴りがする、偏頭痛がする、歯が痛い味覚が鈍い、息切れがする、階段を上るのがつらい、ちょっとした段差につまずく、などなどこれらがいくつか重なってストレスが蓄積される。病院へ行ってもどこも悪くないといわれる、いくつかの病気が疑われるがこれと特定するにはいたらない。何かきっかけがあれば爆発して吐き出したいという鬱憤が堪りにたまっている。こんな状態の高齢者がどれほどいることか。
  高齢者の健康状態を『虚弱期』という期間を加えて捉える見方がある。虚弱期は「不安定な歩行、抑うつ症状があり早期の認知症が認められることもある。軽度要介護」と定義され「健康期」⇒「虚弱期」⇒「高度虚弱期」⇒「終末期」と進行する。健康ではないけれども何とか通常の生活が行えている高齢者に多い健康状態は『前虚弱期』といえるのではないか。又福沢諭吉は、身に一点の病状も無い『十全健康』の人は少ない。健康に似ているけれども十全健康ではない状態を『帯患(たいかん)健康』―どこかに患いをもっているけれども普通に生活をしている状態―と呼んでいる。高齢者のほとんどはこの『帯患健康』で生きている。自分の肉体と相談して細心のケアを施しながらこの状態をキープしたい。高齢者にとってこれがベターなのではないか。
 この期の高齢者はこれといって欲しいものは無い、でも旨いものを食って美味しい酒を飲んで楽しく時を過ごしたい。こんな生き方を望んでいるのではないか。もしそうすることができなくなったら、食事が自分で摂れなくなって旨いも不味いも分からなくなって、自分の足で好きなところへ行けなくなって、好きな音楽が聴けなくなって読書ができなくなったら、『老衰』という生き方をしたい。
 
 老衰とは「高齢者で他に記載すべき死亡原因のない、いわゆる『自然死』」と定義される。老衰は天寿を全うした穏やかな死の証しでもある。老衰で亡くなる高齢者がこの10年で3倍に増えた。2015年の約130万人の死亡者のうち、約7割を75歳以上が占め、老衰で亡くなった高齢者は8万5千人に上り前年より9000人増えた。老衰死亡率(死者10万人に占める老衰死の比率)は戦前100人を超えていたが、医学が進歩して診断可能な疾患が増えるにつれて老衰死亡率は減少し1980年代以降20人前後で横ばいが続いていたが2000年半に増加に転じ15年には69.9人に上るようになった。
 フランスは90年代まで胃ろうを延命治療として積極的に取り入れていたが、現在では高齢者に胃ろうを施すのは虐待の一種とみなされるほどになっている。北欧では1990年代に介護施設に寝たきりの高齢者はほとんどいなかった。自力で食べられなくなったら死ぬという考えが広がっていたからだ。
 食が細くなり眠っている時間が長くなるなどの兆候は老衰の域に近づいたことを知らせている。延命治療で生き永らえるよりも自然に枯れるように逝きたい、自然な死を受け入れるという死生観の変化が現れているのだ。
 問題は子どもなど周囲の考え方だ、なんとかして生かしたいと考えるのが人情だ。医者も患者の死を見送るとき救える命を救えなかったのではないかという後悔、技能者としての敗北感を覚えるかもしれない。
 患者の死生観、周囲のものの感情、医者の自負などが絡み合って高齢者の死を取り巻く状況は複雑である。
 
 ここ半世紀近いあいだ「死」と真摯に向き合うことがほとんどなかった。ひたすら「死を遠ざける」ことに執着してきた。お陰で我国の平均寿命は世界一(男性は3位か4位だが)になることができた。それを誇っていた。「死」を「生」と断絶したものとして捉えてきたからとにかく「生」の限りない延長に国を挙げて取組んできた。フト「生」について疑問を持った。
 「生命というものは、どんな犠牲を払ってもこれを延ばしたいというほどまでに、愛着されるべきものではあるまい」、「自然が人間に与えてくれたあらゆる賜物のなかで、時宜を得た死ということにまさる何物もないのだ」、「特に最上のことは、誰もが自分自身で死の時を選ぶことができるということなのだ」(プリニウス『博物誌』よりショウペンハウエル『自殺について』からの引用)。
 
 ひとには『老衰』という生き方が選択肢のひとつにある。
 
 

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