2016年6月20日月曜日

舛添、宮崎そして乙武

 舛添知事が辞職した。なんとも名状し難い末路であったが今回の騒動でもっとも彼の真実を突いていたのが北野たけし氏であった。「あの人は、最初から権力者になりたくて、人の上に立ちたくて、政治家になるために政治学者になったような人だからね。庶民感覚はないやな」と斬って捨てたのは彼が舛添氏が政界進出以前からテレビで何度も共演して舛添氏の並外れた『上昇志向』を見抜いていたからの辛辣な評言となったのである。マスコミがしきりと用いた『ブーメラン語録』も舛添氏の『権力者志向』を知っていれば、権力に上り詰めるまでの第三者批判と権力者になってからの『批判意識の喪失』―権力者ゆえに許される『特権意識』―この理不尽な乖離も彼の中ではまったく矛盾がなかったのであろうことが理解できる。舛添氏の特権意識は優者にのみ許される『野蛮』を厚顔無恥に実行したに過ぎない。すなわち「『野蛮』とは規則の不在であり、控訴の可能性の欠如なのである(オルデガ・イ・ガセット著『大衆の反逆』より)」から彼がヤメ検の弁護士を雇ってひき出した「違法ではないが不適切」という言辞はまさに『規則の不在』を正当化するための論拠に他ならず、従ってこの論拠の法的裏づけとなった「政治資金規正法」という法律が法律を装った「野蛮な法律」であることを見事に『あぶり出して』いるのである。
 舛添氏に決定的に不足していたのは『謙虚さ』であった。
 
 ゲス議員宮崎謙介氏の末路も哀れであった。衆議院議員が産休を率先して取るということで「少子化」時代の模範的夫のあり方として絶賛を博した直後の「妻の出産入院時の自宅不倫」であったから八方塞の集中砲火を浴びたのも当然である。しかし、しかし…である。早稲田大学出身の長身イケ面の一見優男でありながらスポーツマン、弱冠31歳で衆議院議員に当選を果す、しかも妻は新潟県の政治家一家の美人衆議院議員。ここまで絵に書いたような「勝ち組・成り上り」を極めたら男なら舞い上がるのも当然ではないか。女は手当たり次第面白いように靡いてくれる、セックスにも相当自信があったにちがいない。仕事も順風満帆思い通り、遂に若くして衆議院小選挙区で当選を果す、選挙区でも人気は抜群で当面落選のおそれは毛ほどもない。これで『有頂天』にならない「若いもん」は稀有であろう。しかしここまで人生が順調に運んでくると普通の人間なら『懼れ』を抱くものだが彼はそうではなかった。さらに増長したのだ。落とし穴が待っていた。
 彼は傲慢さに気づかなかった。決定的に不足していたのは『謙虚さ』であった。
 
 乙武洋匡氏は先天性四肢切断という極限の障害を生まれつきもっている。それでありながら早稲田大学を卒業し教職員を勤め教育委員、NPO法人代表、文筆業、タレントとマルチな活動をする。結婚して二男一女をもうける。どこからみても通常の健常者以上の活躍であり通常の生活者と何ら変わらない。学生時代から女性関係ははなやかで彼の周りには幾人もの女性が取り巻いていたという。
 障害にうちひしがれて、懸命に努力してそこから抜け出て一般社会に迎え入れられ『頑張る』姿を賞讃される、というのがこれまでの障害者の常識的なサクセスストーリーであった。しかし彼の美学はそれをゆるさなかった。あくまでも普通に、健常者以上に何気なく、勉強し働らき恋愛し結婚子育て、浮気だって…。そうでなければ彼は自分が許せなかった。
 彼は傲慢さに気づかなかった。決定的に不足していたのは『謙虚さ』であった。
 
 低成長と停滞という閉塞感が横溢し無知と凡庸がはびこる現在にあって彼らは異様である。何故彼らは『逸脱』したのか、逸脱せざるをえなかったのか。『狂気』なのだろうか、『反逆』であったのか。
 彼らに欠如していたのは『他人への思いやり』である。隣人との共存と『寛容』を彼らは忘れていた。そこに『落とし穴』があった。
 しかし『寛容の欠如』は彼らだけではない、世界中に蔓延している。戦争という『代償』を払って20世紀が築き上げた『平和』のシステムを21世紀が『侵蝕』している。
 
 強欲と不寛容!
 「自由主義は、敵との共存、そればかりか弱い敵との共存の決意を表明する(前掲書より)」。
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿