2016年9月12日月曜日

幸福の風土性

 「ヨーロッパ人の『幸福』の観念をもって他の国土の住民の幸福を量ってはならない。ヨーロッパ人は幸福という点において決して最も進歩しているもの、あるいは模範となるべきものではない。ただヨーロッパ特有の一つの類型を示しているに過ぎないのである。世界の各地方には、人道の見地から見て決してヨーロッパに劣らない幸福が、それぞれの土地の姿において存している。すなわち幸福は風土的なのである。」
 これはドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744~1803)が歴史風土学から「幸福」について書いた一節である。グローバル化が一巡して当初のバラ色の「故無き楽観論」が停滞と混沌という『後退期』に行き当たりここ数年は後進国経済の低成長が世界経済の不安定要因のひとつになっている。しかしそれは維新以後の日本の順調かつ驚異的な成長を「後進国発展のモデルケース」として当然視し後進国の市場化は何の障害もなく実現し世界経済にプラスの効果のみをもたらすという誤解が原因している。我国は江戸期までの長い歴史の過程で高い「識字率」などの文化的蓄積があり、生産性の高い農業技術、商業や金融の高度な発達を遂げていたうえに明治政府以来のインフラ整備と民族性に起因した「貯蓄率」の高さによる資本の蓄積など産業発展の基盤整備を終えた後に「近代化」を迎えた。しかし20世紀後半のグローバル化で世界経済に組み込まれた『後進国』の多くは我国のような蓄積の無い国々がほとんどである。識字率や教育レベルの低さ、インフラ蓄積の過少、そしてなにより貯蓄率の低さに起因する過小資本というネックがグローバル化のスムースな成熟の大きな阻害要因となっている。
 
 問題は先進国がグローバル化を経済的側面からのみ捉えて、その国の国民の「幸福」達成を後進国進出の根本目標に据えていなかったことにある。たとえあったとしてもそれはヘルダーのいう『ヨーロッパ(先進国)的幸福』の押しつけであった。そこに先進国の傲慢さがありヘルダーはそれをこんな風に戒めている。
 「静かな喜びをもって妻子を慈しみ、己の部族に対しても己の生に対してもただ控え目に働く、――そういう野蛮人の方が人類愛に興奮する人々よりも一層真実な人間だと思う。」
 
 更に考えるべきは現在の工業製品はすべて「機械生産」であるから「人件費」が安ければどの国であろうと構わないという粗雑な進出姿勢だ。アジア、アフリカ、中東、南米など発展途上国は世界各地に散在しているが各国の気候・風土は著しい差異を有しており歴史、宗教、部族、言語など歴史的・社会的背景も多様であるということに十分配慮した緻密な「グローバル戦略」が必要だということを知るべきである。
 
 折りしも北朝鮮のミサイル発射実験や核実験が頻発しているが、ヘルダーはそんな事態も予測したかのように次のような「幸福観」を記している。
 「大きい国家において一人の王冠をつけたばか者が栄えるために多数の者が餓え、圧抑され、殺されるというごとき状態より、国家なくしてすべての人が静かな生を楽しむ小さな団体の方が、はるかに人道に合する。」
 隣国の「若き独裁者」は『未熟さ』を剥き出しにして『専横』を繰り返している。疑心暗鬼が精神を蝕んで『粛清』という『残虐行為』を重ねている。かといって「制裁」は彼の心を頑なにするだけだということはこれまでの経験で先進国の統治者たちは学習しているはずだが今回もまたその愚を繰り返すのだろうか。
 
 グローバル化の過程で先進国は西欧型の「幸福」を押しつけてきた。昨日まで「部族的社会」に暮らしてきた人たちに「国民国家」でこそ機能する国内統一の『選挙』を行わせて『国民的合意』を形成させようとした。しかし彼らはまだ『部族』意識に止まっているのだから『国民』的意識は持てようはずもない。まやかしの『国民的合意』は『部族的矛盾』を超越することはできなかった。
 識字率などの教育的レベルの向上、インフラ整備と貯蓄量の拡大、部族的意識の国民意識への統合。こうした各種各段階の『段取り』をすっ飛ばして性急にグローバル化を図ろうとした『ひずみ』が『世界的経済停滞』というかたちに世界を追い込んでいる。しかしそれは世界が本当に『グローバル化』するための少し長めの『調整』に過ぎないということに気づくべきなのだ。
 
 心すべきは、幸福は風土的なものである、ということである。
この稿は和辻哲郎著『風土』を参考にしています

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