2017年2月20日月曜日

インフレは良いことなの?

 「インフレは良いことなの?」と訊く子あり日銀記事と母親見比べ(青森 南 勉)――二月十二日の日経歌壇に採用された短歌である。年金生活者を初めそう考えている人は決して少なくないのではなかろうか。
 
 日銀がデフレ脱却のために「安定して2%のインフレが継続」するように「異次元の金融緩和」を行ってからもうすぐ4年になる。毎年80兆円という想像を絶する多額の貨幣を市場に供給すれば物価は上昇してインフレになるであろうという日銀・黒田総裁の目論見は見事にはずれてしまった。財・サービスの量が一定であれば貨幣量が増加すれば物の値段は上って当然の理屈だがそうはならなかった。供給した貨幣は一旦市中の銀行にわたったが、企業や家計(消費者)には届かずにそっくり又日銀(の当座預金)に預け返されたままになっている。それではと預金金利をマイナスにして強制的に市場に流通させようと狙ったところが、銀行が国債(貨幣供給するために日銀が買い上げる)を買わなくなってしまった。また地方銀行の「利ザヤ稼ぎ」が急激に減少して経営不振に陥いるという副作用も発生している。
 
 そもそも日銀は、先行き物価が上がることが分かれば消費者は安いうちに消費を増やすに違いないという考えなのだろうが、それは理論上のことで一般の生活者の感覚と懸け離れている。戦後スグのように毎年毎年目に見えて物価が大きく上るような状況であればムリしてでも買おうと思うだろうが今はそんな情況にはない。まして給料がほとんど上らない先行きが見通せない状況では尚更だ。我々年金生活者の立場から言えば、そもそも欲しい物がない。社会保障の増大が国の財政を危うくするから年金の支給額を抑制しなければならない、と厳しく指弾を受けている状況では、物価が上ると思えば「将来不安」に備えて「蓄え」を増やそうとするのが自然の成り行きである。50年前ならいざ知らず、今や年金生活者が人口の三分の一近くを占めているのだから、物価が上ると声高に言われれば消費を控えるのは当然でインフレになるはずがない。
 
 今は『消費が飽和状態』の時代である。加えて「低成長・高齢社会」であるから賃金の飛躍的上昇も望めない。こんな時代に消費を増加させようとするなら「世帯と世帯人員の増加」か「新商品の出現」が最も可能性が高い方策なのではなかろうか。結婚し子どもを産み成長させる――住宅が必要になり子どもの成長につれて多種の商品が必要になる、必ず消費量が増える。だとすれば『少子化対策』が消費を増やしデフレから脱却するための最も本質的な対策になるのだが、政府の対策の照準は別の所に定められている。「新商品の開発」のためには「研究開発」に携わる「高度の頭脳」と「活発な競争」が必須なのだが、それを実現する「高等教育(大学・大学院)への政府支出の拡大」と「規制緩和」が余りにも不十分である。教育支出のGDP比率はOECD加盟国中最低レベルに止まっているし、規制改革は遅々として進まない。
 
 生活に必要な消費財・サービスを増加させようとする政府の方策が不振だから企業は別の分野の消費を伸ばそうとしている。そのひとつは「健康食品」だ。テレビのBS放送には「健康食品」の広告が溢れている。高齢者は肉体のどこかに不具合をかかえているし健康不安が生活上の大きな支障となっているから需要は膨らむ一方だ。健康保険の恩恵で治療費は一割負担に抑えられているのに毎月何千円という健康食品を購入している。今後とも増えつづけるに違いない、国も『トクホ』などと煽っていもいることだし。
 現物商品が不振なら「かたちのないもの」―金融商品で消費を伸ばそうという目論見を企業が抱くのは当然である。保険―生命保険、傷害保険、医療保険、投資信託や株式投資、FX外為投資、REIT不動産投信など金融商品は百花繚乱である。銀行の利息がゼロだから高齢者は「蓄え」を増やす方法に頭を悩まして、怪しげな儲け話に手を出してしまう。現状の金融事情は決して健全とはいえない。
 
 日銀の展開してきた「期待に訴えるインフレ実現政策」は生活者―消費者としての一般人の感情からすると失敗策だった。経済学的には理論の裏づけがあるのだろうが市民感覚には逆効果を与えた。「インフレは良いことなの?」と不思議がるのももっともだ。
 
 子どもの疑問に正解を与えられるおとなはどれほどいるのだろう?
 

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