2017年2月6日月曜日

平和に馴れる

 
 トランプ大統領が世界中を混乱に陥れている。しかしこれはまだプロローグにすぎず混乱の度はこれからますます深まっていく可能性を否定できない。
 
 大方の人は気づいていないか気づいていてもそれをどう捉えていいのか途惑っていることがある。それは戦後70年余に及ぶ『長期の平和』状態である、少なくとも全滅戦争につながるような世界戦争は起っていない。近世-現代において斯くも永き平和の状態はなかった。だからカントは「平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである。つねに敵対行為が発生しているというわけではないとしても、敵対行為の脅威がつねに存在する状態である。だから平和状態は新たに創出すべきなのである(『永遠平和のために』中山元訳・光文社古典新約文庫より)といっている。カントの論の正しさは世界の諸国が常備軍を持っていることで証明される。「常備軍が存在するということは、いつでも戦争を始めることができるように軍備を整えておくことであり、ほかの国をたえず戦争の脅威にさらしておく行為である(同上書より)」からである。
 したがって人類がこれまで営々と築いてきた「人類の叡知」である学問や思想――とくに今流通している哲学や政治学、経済学などは近世―現代に構築されたものがほとんどだから『長期の平和』は考察の前提になっていない。むしろ『戦争状態』が自然状態として理論形成されている。
 もしそうなら多くの学問や思想は役立たずになっているのではないかと疑ってかかる必要があることに気づくべきなのだ。
 
 例えばケインズの経済学は、戦後経済の復興をスピードを優先して一時的に政府に資金を集中することで最も有効性の高い部門に最適配分する=有効需要を創出する経済政策であったし、中央銀行による金利操作によってインフレを抑制しあるいは景気を刺激することで「物価の番人」として機能させるという考え方も、壊滅―復興―再軍備という戦争のサイクルのなかで金本位制によって貨幣創出量が規制されていて資金需要と資金供給が逼迫と潤沢の往復運動する状況でこそ効果を発揮した論であって、金本位制から管理通貨制度に移行して原則的に通貨供給量の拘束が無くなって量的緩和が際限なく行われ得る状況になれば伝統的金融政策は不能に陥ってしまっている。
 そもそも資本主義自体、世界のすべての国がプレーヤーとなる事態は考慮しておらず、有限な資源の枯渇状況を実際に起りうる事態とは想定していない。欧米の7~8ヶ国せいぜい20ヶ国程度の先進国で経済が動いていてその他の弱小国は立論に組み入れる必要性はないと考えていたはずで、世界のGDPの48位(2015年)で世界総額の0.27%しか占めていないギリシャの金融不安が世界中に悪影響を及ぼす事態など想定外であったと考えられる。
 民主主義は「厚い中間層」で人口が構成されているとき最も機能する制度であって、平和が長くつづいて資産蓄積が偏って「格差」が拡大するような状態では民意を集約することが困難な制度であったことが現在の世界状況によって明らかになっている。 
 
 資本主義の矛盾が沸点に達した2008年のリーマンショックにつづく「世界金融危機」はいまだに収束していない。この間先進諸国は最先端といわれる金融理論やケインズ理論に基づいて経済政策を駆使したが結果は思わしくない。近年フランスの経済学者ピケティが警告したように先進諸国における『長期の平和』状態のつづく中で資産の集中がもたらす『経済格差』は拡大の一途をたどり、とうとう臨界点をこえてしまってイギリスのEU離脱やトランプ大統領の選出という形で「レフト・ビハインド(見捨てられた人びと)」の不満が爆発した。
 
 要するに人類はまだ『平和』に馴れていないのだ。平和を自然状態として理論を構築し思想を形成する時期を迎えていることに気づくべきなのだ。したがって我々に要求されている喫緊の課題は、既存の学問や思想を『長期の平和』に耐性をもったものに改良することになる。
 そんなとき、世界で唯一近世-現代において長期の平和を経験し平和をうまくコントロールした国がある。それは我が日本国だ。徳川時代の260年有余は『長期の平和』の時代だった。
 徳川時代にいかに学ぶのか。それこそが『21世紀の知性』につながる。

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