2017年9月11日月曜日

役所の文書にモニター制度を

 日本年金機構から『「個人番号申出書(平成29年分扶養親族等について)」「平成30年分公的年金等の受給者の扶養親族等申告書」』なるものが届いた。申出書は税制改正によって税務署へ提出する書類にはマイナンバーを記載するよう義務づけられたことに対応するもので、また申告書は来年度の年金支給に関わる税算出のために必要な扶養親族等を申告するものである。
 
 さて記入方法を読んだのだがこれが難しい、とても一読して理解できるような代物でない。どちらもStep①から⑤が例示してあるのだがそれだけでは記入はできない。用語の説明を読む必要がある。更に要件を理解しなければならない―例えば扶養親族であれば扶養親族に該当する要件を家族が具備しているかどうかを知らなければならない。更にさらに要件を満たすための条件として配偶者などの所得金額を計算するための計算式(収入から一定の控除額を差し引いて算出する)を理解し計算しなければならない。などなど一応の理解をするために二三度読み返した。そしてStepに従って記入しながらあいまいな点を何度もチェックして何とか書き終えた、小一時間経っていた。
 年金受給者の多くは現役時代に役所への提出書類を作成した経験を有している。スラスラと何の苦労もなく書けたわけではないが習熟してそれなりにコナしてきた。しかしリタイアして何年か経って、後期高齢者ともなれば十年以上か過ぎている、すっかり役所の文書から遠ざかった身にとって今回のふたつの文書は手強かった。難解だった。
 経験者でもこんな有様なのだから、まったく役所と関係のなかった高齢者に果たしてこの文書は作成可能なのだろうか。二三日してゆきつけの喫茶店に行くと店の一隅でこの書類が話題になっていた。「読んでも分からんからお前読んでみてくれ、ってお父さん言わはるけどそんなん私に分かる訳ないやん。これからお役所行ってきいてくるは」、同じく後期高齢者の奥さんの言であった。
 
 そもそもお役人――とりわけ官僚は頭の良い人たちのはずだ。その頭脳明晰な人たちがどうしてこんな錯綜した回りくどい難解な文章を作るのだろうか。対象者―― 一般庶民(とりわけ高齢者)が理解できるとでも考えているのだろうか。それとも頭の良いお役人同士が理解できればそれでいい、理解できない方が悪いと決め込んで仕事をしているのだろうか。多分そうなのだと思う。担当者が原案を作成して同僚や上司のチェックを経て、外に出る文書なら文書課が最終チェックして公式に外に出されるに違いない。
 これまではそれで良かったかもしれない。しかし高齢者が増えて、その高齢者に向けて発信する文書を作成する機会が多くなっている現在、この文書作成手順は改められる必要があるのではないか。役所内だけで完結するのではなく、どこかで高齢者のモニターを介在させて、対象者が苦労せずに理解できるかどうかチェックする過程をつくるべきだ。高齢者に限らず一般に役所の文書は理解しずらいという意見が多いことを踏まえれば、役所の外に出る文書全般を対象とした「文書モニター制度」を確立すべきかも知れない。
 申告主義――個人に恩恵の及ぶ制度であっても、役所が自動的に該当者に利益供与するのではなく、個人が制度を知って役所に申告しなければ適用されない――が横行する現行の公的制度のもと、利益を受けられない人が急激に増加する危険性を予感する。たとえば今回の申出書と申告書が分からない、面倒臭いからと放置する高齢者が発生すれば年金受給が遅滞したり所得税が過分に徴収されるひとが増加する可能性が無いとは言えない。
 たかが文書の書き方などとお役所は軽視しないで真剣にこの問題に取り組んでほしい。
 
 最後に「個人番号申出書」という文書の表題にも「お役所仕事」らしい誤りがある。「申出」の「申す」ということばは「言う」の謙譲語であり、目上に依頼する際に「申」を用いることは不都合になる。市民と役所の関係に上下は無いが少なくとも市民が役所に「謙譲―へり下る」必要はさらさらないのは明確だ。役所内では日常的に「申出」ということばで対市民の関係を取り扱っているのかも知れないが、その無神経さがたまたま表に出てしまった今回の「個人番号申出書」なのだろう。表向きは兎も角役人の「市民蔑視」志向の相当根深いことがうかがわれる。
 
 

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