2017年12月11日月曜日

パロディができなくなった

 先日の「たけしのこれがホントのニッポン芸能史『喜劇』(NHK・BSプレミアム12月2日)」でゲストの伊東四朗さんが「最近はパロディができなくなってきた」と慨嘆していたのは昭和喜劇界を知る人らしい「シメの言葉」だった。パロディとは「誰でも知っている演劇(歌舞伎など)や映画、文学や詩歌を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作品、あるいはその手法」のことで、文学でいえば江戸時代の川柳や狂歌の古今集などの有名な和歌をもじった作品はパロディのひとつと言えよう。また昭和の芸人さんは、尾崎紅葉『金色夜叉』の「熱海の海岸」の場面――恋人のお宮が裏切って大金持ちの富山に結婚するのを怒った主人公貫一が熱海の海岸でお宮を蹴飛ばす場面――を借用してよくパロディを演じていた。パロディ芸能の最たるものは「俄(にわか)」であろう。歌舞伎や文楽の演目を土台にした即興的なドタバタ喜劇で、俄狂言とも仁輪加とも呼ばれた。戦後いち早く関西喜劇界で人気を博した曾我廼家十吾、渋谷天外(二代目)の「松竹新喜劇」はその流れを継いでいたが、いつの間にか「俄の伝統」は消えてしまった。伊東さんは歌舞伎をもとにした古いパロディではなく、みんなが知っている国民的な映画や歌謡曲をベースにしたパロディをいっていると思うが、その元になる『国民的』な『文化的共有財産』が世の中から消えてしまったことを嘆いているのだろう。最近で言えば小学校の音楽教科書から「小学唱歌」や「蛍の光」「仰げば尊し」が無くなったし、夏目漱石や森鴎外が国語の読本に不採用になった、ように。
 
 そういった意味では、最近高校と大学の教員らで作る「高大連携歴史教育研究会」が発表した「坂本龍馬」「大岡忠相(大岡越前)」「武田信玄」「上杉謙信」「吉田松陰」などの人気の人物を教科書から削除するという考え方は、ますますパロディを我国文化から――少なくとも「お笑い」からは遠ざけてしまうに違いない。「大学入試の歴史の問題で細かい用語が多数出題されて暗記中心に偏っている傾向を是正する」ために歴史教科書に載る用語を半分近くに絞り込む方針らしいが、これによって歴史の面白さが削がれるようなことにならない配慮が望まれる。
 しかし視点を変えるとこれは、歴史をどう捉えるか、という根本的な考え方にも関係している。歴史は人間が作るものだからその時代時代の中心となった人物の活躍を重要視して歴史を視る――ある意味で「英雄主義」的歴史観と、人間社会を「政治」「経済」「文化」などの変遷と捉えてその時代的推移を歴史と視る――謂わば科学主義的な歴史観、この二つのどちらに重点を置くかで教科書の編成も変わってくるわけで今回の研究会の提案は後者に重点を置こうとする考え方と見ることもできる。それはそれで意味のあることで、願わくば中途半端にならないで、変化の激しい今の「時代」を見抜く『歴史の目』が子どもたちの身に付く、現代にふさわしい歴史教育になることを願っている。
 
 文化的共有財産が消失した原因は娯楽とメディアの多様化のせいだろう。パソコン、スマホ、インターネットが出現するまでは、紙媒体(新聞、雑誌、本)と映画とラジオ(テレビ)が伝達手段のすべてだった、勿論『実演』が有力だったのは言うまでもないが(紙芝居も実演になるか)。コンテンツとしてパロディを支えて重要な働きをしたのは「講談」と「浪花節」だったのではないか。特に『講談全集』は「貸し本屋」の主力図書として国民の多くが読んでいた。「忠臣蔵」「忠臣蔵外伝」「義士銘々伝」「水戸黄門」「幡随院長兵衛」「曽我兄弟」「太閤記」「寛永三馬術」「川中島ノ決戦」「山内一豊」など挙げればキリがないが五十巻以上あった。私たちより年輩の層は小学校で学校を卒える人がほとんどだったが『講談』は共通の教養としてあった。「貸し本屋文化」は戦後も長く存在感を保ち、吉川英治、山岡宗八、五味康祐、柴田錬三郎などの作家の早期の作品は貸し本屋が出発点だった。やがてこの流れは松本清張、司馬遼太郎に引き継がれていくことになるが、この系譜は徳川期の頼山陽『日本外史』、大正昭和期の徳富蘇峰『近世日本国民史』に源流を求めることができる「英雄主義的歴史」の系譜といえるだろう。
 学校で学ぶ歴史と講談で得た知識が渾然となって「庶民の歴史」は描かれ、学歴の差もなく国民の共有するところとなっていた。これに加えて、歌舞伎、文楽の演目も講談と重複しながら多くの人の知るところであったし、百人一首、いろは歌留多、俳句や漢詩の有名なものも人口に膾炙していた。歌謡曲はレコードとラジオで庶民の共有物であったし、映画も「娯楽の王様」として君臨していた。
 男女、年代の隔たりもなく「全国一律」の「一般教養」として『文化的共有財産』は平成になる直前まであった。
 
 僅か三十年で世の中は一変しインターネットとSNSは国民を『分断』した。テレビゲームをはじめとした若者の娯楽と中年の娯楽は共通するところを見出せないし老人はそのどちらともつながっていない。これでは「パロディ」は成立のしようがない。
 
 ところで私が「白村江の戦(はくそんこうのたたかい)」を知ったのはつい最近のことだ。天智二年(西暦663年)朝鮮半島の白村江(今の錦江河口付近)であった我国と朝鮮との戦いで我国は惨敗した。なぜこの我国初の国際戦争が歴史から消されたのか?明治維新以来第二次大戦勃発まで我国の歴史は「神国不敗」と教えられてきた。この「歴史観」にとって「白村江の戦」は『不都合』だったのだろうか。
 
 これまでも、これからも、歴史は権力者に「歪められる」。英雄主義の歴史もそんな権力者の恣意に加担してきた一面があることを知る必要がある。
 
 
 

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