2017年12月4日月曜日

 ほんのちょっとの「心づかい」

 この十日ほどで三つ忘年会があった。中華のコース、豚しゃぶ会席、和食会席とバラエティに富んだ料理と有名ホテルの中華店、最近若い人に人気の店、地元桂の名店とお店にも特色があって堪能した。集まりはPTAの同窓会、高校と大学の友人、馴染みの喫茶店の食事会とこれもまたそれぞれで楽しかった。中華は素材が豪華版だったし豚しゃぶは調理法が豆乳シャブシャブでユニーク(私は初体験)、和食は板前の腕に感心させられた。
 最近は「インスタ映え」とかいってそもそもの食事の「旨さ」がそっちのけになっているがわれわれ世代はやっぱり美味しさに拘りがある。別に高級なものが食べたいわけではない、料理人の心の感じられる食事がしたいのだ。料理の良し悪しはほんの少しの「心づかい」と「てまひま」にあるのではないか。最近知ったのだが湯を沸かすのでも、高温で短時間で沸かしたのとじっくり時間をかけて煮沸した湯ではまったくちがうものといっていいそうで、舌ざわり味わいに驚くほど差が出るという。そういえばインスタントの味噌汁やコーヒーを淹れるときそれを感じたことがある、速成でいれた味噌汁が舌を刺すようで美味しさが半減していた。素材選びにしても目利きが選んだものと素人が何の考えもなしに手に取った物ではびっくりするほど良し悪しがちがう。また包丁の切れ味が悪いと素材の味が損なわれることはよく知られているし、素材の下処理で仕上がりがまったく異なることは料理本の最初のページに載っている。インターネットの人気店で期待を裏切られることが多いのは、お客が若い人がほとんどだから店側が客をなめて手を抜いているからだろう。ほんの少しの気づかい、それがびっくりするほどの味の差に結びつく。コワイことだ。
 
 最近続発している日本企業の「品質偽装・詐称」も根っこは同じだろう。
 端緒は構造計算書偽造問題を起こした2005年の「姉歯事件」だったのではないか。次に記憶にあるのは昨年の横浜のマンション傾斜事件で「杭打ち施工」が基礎地層にまで届いていない不具合が原因と特定され、杭打ち施工に関わった三井住友建設など3社が行政処分を受けた。その後同種の不正が計56件8社の偽装が見つかっている。製造業の品質偽装、詐称は「東洋ゴム」「タカタ製欠陥エアバック」「神戸製鋼」「日産自動車(等)の無資格検査」「東レ子会社製品検査データ改竄」と出るは出るはの驚くべき惨状を呈している。製造業の品質偽装の根本問題は「できることをやっていなかった」ことにある。
 戦後復興を牽引した我国製造業は「安かろう、悪かろう」のバッシングに耐え、血の滲むような苦労を重ねて世界に誇る『ジャパニーズ』を獲得した。「日本製」というレッテルがあるだけで「最高品質」という信用と「ブランド」を得たのだ。トヨタの「カイゼン」は世界語となり品質向上の世界標準となった。その日本の製造業の現場で何が起っているのだろうか?
 この問題を考えるとき真っ先に浮かぶのは、1978年ダグラス・グラマン事件で国会に証人喚問された日商岩井・副社長海部八郎が宣誓書に署名する際手が震えてなかなか署名できなかったテレビの画面である。汚職を犯したという罪悪感と衆人環視の中で「偽証」できない、「真実」を明らかにしなければならないという『倫理観』の葛藤と「国会」と「国民」への『畏怖心』が彼を追い詰めて、筆を進ませなかったのであろう。
 海部氏が保持していた『倫理観』と『畏怖心』は、今、私たちにあるだろうか。「森友事件」の籠池氏や佐川現国税庁長官、「加計学園獣医学部新設問題」に関わった安倍首相、加計孝太郎理事長、萩生田光一現自民党副幹事長たちに海部氏と同じ「倫理観と畏怖心」があると思えるだろうか。『否!』と叫ぶ声が強く響く。
 
 ゴムであれアルミ板であれタイヤ・自動車関連の繊維であれ、生産システムは自動化されているから、素材に原因があったかシステムの制御不良であるかのどちらかだろう。素材は厳密に選別されてから生産ラインに入るから「ほんの微量」の異物混入であったろうし、システム制御の不具合にしても完成度の高いシステムであるから「わずかな」パラメータの異常であったにちがいない。エアバックと自動車の完成品は検査項目それぞれの検査手順の「愚直」な実施を資格を持った検査員が行っていれば発生しなかった問題である。
 「わずかな」「微量の」「愚直な」『齟齬』、それが『大きなちがい=間違い・欠陥』につながる。料理人のほんの少しの「心づかい」と「てまひま」が『味』の決め手になる、根っこはまったく同じなのだ。
 何故それができないか。『利益』が優先されたのだ。利益追求に盲進して顧客と地域との共存を放棄するのは「資本主義の冒涜」以外の何物でもない。
 
 
 民主主義と資本主義がすぐれて『倫理観』と緊張関係にある制度であることは自明である。政治の条件は複数性にあり、複数の人間の間にある不一致を受け入れて、一致を探り、一致を達成し、コミュニティを動かしていく活動が政治に他ならない。選挙で得た「多数」を振りかざして「少数意見」を押さえ込む『丁寧さのない傲慢(=謙虚のない様)』は民主主義の対極であろう。
 
 権力の特質は人間が一致して行為するところにあり、暴力によってはそのような一致はもたらしえない。
 権力は相手の行為する力を利用するが、暴力は行為する力そのものを抑え込む。
 ――國分功一郎著『中動態の世界』より――

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