2017年12月18日月曜日

神さんのいけず

 長年気にかかっていた――積年の疑問が氷解した。解いてくれたのは「日文研」の磯田道史氏たち。京都の西京、桂坂の京大校区の一角にある国際日本文化研究センターができて30周年になる今年、数々のイベントがあったが、そのうちのひとつ、10月28日に行われた一般公開の記念講演会「日本史の戦乱と民衆」での磯田氏の講演が「東京遷都――明治政府は何故京都を見捨てたか?」という疑問に答えてくれた。
 それなりにいろいろ見聞きして、天皇制をいただく明治新政府を成功させるには、天皇家と千年を超える縁故を保つ公家や社寺との関係を『断絶』させなければ天皇の権力と新政府を合一できないと考えて「京都」を切り捨てた。この見方が一番真実らしいと受け入れていたが、なにかもうひとつ足りないところがある、ずぅっとそこにひっかかっていた。
 磯田氏は維新前後の京都の状況を戦乱と、データと、京都日出新聞などの資料を基に、民衆のたくましい生き様を描いてくれた。そのなかで、1864年の「禁門の変」―京都では「蛤御門の変」といわれることが多いこの内乱で上京、中京のほとんどが焼き払われたこと、当時の京都の住民数が30万人足らずであったこと(大坂は35万人ほどだった)、これに対して江戸(東京)はすでに120万人に達する世界的な大都市だった。京都の膨大な戦後復興資金、東京の確立した先進的な大経済圏、国際化に適合した地理的利点。どこからみても、江戸=東京こそ新時代にふさわしい『首都』だった。
 これでスットした。口惜しいけれど明治政府要人の選択は「合理的」だった。納得した。
 
 話は変わるが最近「仇(かたき)みたい」という「京都弁」を時々思い出す。今やめったに聞くことの無いことばだが、幼い頃おとな達はよく口にしていた。「そんな、カタキみたいにセイて食べんでも、誰もあんたのおやつなんか、取らしませんがな」とか「カタキみたいな目ェして」とか使った。要するに「必死に」という意味なのだが、何とも物騒な言葉づかいではないか。そして「ユーモア」あふれているではないか。こんな奇想天外な表現を思いつくところが妙に京都人っぽい感じがして懐かしい。(この系統では「目くじら立てる」が横綱だろう)。
 もう一つ、めったに使わなくなった京ことばに「こうと」というのがある。どんな字を嵌(あ)てるのか知らないがひょっとしたら「玄人(くろうと)」が訛(なま)ったのかもしれない。ことほど左様に「中年あるいは年輩の女性の渋い粋な装い」を表していた。私のイメージでは、縦縞の地味な色合いの生地の着物に銀鼠(ぎんねず)の帯をあしらったそんな風情が、「奥さん、こーとどすなぁ」となる。「はんなり」とは少々趣を異にするが好い京ことばだった。
 
 そんな私は幼いころ病弱だったお蔭で、随分珍しい治療を受けていた。これは治療ではないが東山・即成院さんの「二十五菩薩お練供養」で菩薩様にならせてもらったことがある。どの菩薩様だったか覚えていないが、同院の本尊・阿弥陀如来と二十五菩薩が極楽浄土から現世に来て衆生を極楽浄土へ導く姿を具現する行事で、境内に特設された橋の上を練り歩く。祖母が御詠歌の講で教導まで勤めていたご縁で引き上げて下さったと覚えている。菩薩様のご加護を頂戴して少しでも私が健康になりますように、と祖母が願ってくれたのだろう。今でも十月の第三日曜日に盛大に行われている。
 「おさすりさん」と「穴村の墨灸(もんもん)」は今ではほとんど聞かなくなった。「おさすりさん」は今でいう「幼児マッサージ」になるのだろうか。年輩の女性のおさすりさんが自宅に来てくれて、縁側に座った祖母の隣で女性の膝に体をあずけながら、「ぼんは…」「ぼんは…」と語りかけながら優しく全身をさすってくれる。陽射しの暖かななかでうっとりと身をまかせているとうつらうつらして病のつらさを忘れてしまう。マッサージというよりもセラピーに近い療法だったのだろうか。
 「穴村の墨灸」は「モグサからつくった墨のような液をツボに塗る」鍼灸の一種で子どもの「カンの虫」封じなどに効くとされていた。浜大津から船で行ったから竹生島の一地域かと思っていたがネットで検索すると、草津市の西北、琵琶湖近くに穴村はあった。小さな和船に大勢が乗り合っていたから随分流行っていたのだろうに、今は知る人もいない。
 
 先日八十才と八十二才の男性が「トライアスロン」に挑戦しているテレビを見た。4kmの水泳、10kmの長距離走、20kmの自転車走を完走したおふたりは輝いていた。聞けば八十才の方は「かなづち」で六十才になってからトライアスロンに参加するため水泳を始めたという。それから20年、波の高い荒れた海を泳ぎ切った彼の肉体は健康そのものだった。
 先にも書いたように病弱だった私も本当に健康体になったのは六十才を過ぎてからだった。禁煙して、テニスをはじめて、体力増強が必要だったので食事を改善し鍛錬を重ねた。朝起きてから二時間近くもろもろのプログラムをこなして、健康を維持している。しかし、決して、ひと様に「誇示」しないように勉めている。それは、幼いころ、「あんまりイバッてたら『神さんにいけず(いじ悪)』されまっせ」と戒めてくれた祖母や母親のことばを思い出すからだ。良いことばではないか、「神さんのいけず」。
 
 京都に生まれて、長生きさせてもろて、ほんまに「おかげさん」ですなぁ。
(今年は本稿にて最終と致します。ご愛読有難う御座いました。よいお年をお迎え下さい。)
 

0 件のコメント:

コメントを投稿