2018年1月22日月曜日

ユートピア?ディストピア?

 昨年、ある意味で最も衝撃的だったのは「3メガバンク、3万3千人の人員削減!」という報道だった。AIなどの活用によって人員や業務のスリム化を図るというもので、「仕事が消える!」と騒がれた『2045年問題』が現実感をもって迫ってくるニュースだった。具体的にはみずほフィナンシャルグループ(FG)が今後10年で1万9000人三菱東京UFJ銀行が約9500人、三井住友FGは約4000人を想定しており、例えばみずほFGは、国内外の従業員数を現在の約6万人から約4万人にまで削減する方向だが、その「削減分」は窓口業務のデジタル化や、AIを活用して穴埋めしていくとされている。
 2014年にイギリスのデトロイト社が「今あるイギリスの仕事の内35%が今後20年でロボットに置き換えられる可能性がある」という衝撃的な発表を行い、その後オックスフォード大学の研究でも、「今後10年~20年ほどでアメリカの702の職業のうちおよそ半分が無くなる可能性がある」と報告された。我国では2014年に経産省が「AIやロボットなどの技術革新によって、何もしなければ2030年度には国内雇用が735万人減る」との試算を発表しているが、これは労働力人口の約1割に相当する。
 かって我国は製造現場でロボットを効率的に活用して生産性を飛躍的に向上させ「ものづくり革命」と誇ったが、その時期、「ロボットが製造現場から仕事を奪う」とブルーカラーの危機が叫ばれた。今回の第四次産業革命ではAIやIoT、ビッグデータ、ロボットによってホワイトカラーの仕事が奪われると囃し立てられている。これに対して識者の多くは「ロボットのできる仕事はロボットに任せて、人間は人間にしか出来ない仕事にシフトしていかなければならない」などという無責任な発言を臆面もなく言いつのるばかりだ。
 
 ロボットやAIによって具体的に仕事や職場がどのように変わっていくかを予想することはそんなに簡単なことではないが、メガバンクが表立って数字を示して、10年という区切りで、30%以上の人員削減ができると表明したことは重大な事実である。そしてこれまでの傾向から、役所や銀行などの大企業での変化は数年の時間のズレはあっても我国のほとんどの場所で現実となってきているという歴史がある。こうした事情を重ね合わせると、「2045年問題」は相当な緊張感を持って取り組まなければならない問題だということが分かってくる。
 注意すべきは仕事がどう変わるかというような技術的な側面ではなく、もしそうなったら「社会」はどう変わるか?どう変わらねばならないか?という視点でこの問題に対処すべきだということだ。
 
 いまの社会は、「人は職業について、所得を得て、生活する」というシステムになっている。幸い我国では失業率が世界最小の3%台で推移していることもあってこのシステムは良好な状態で運用されている。膨大な財政赤字を抱えてはいるが企業と市民からの税収と借金で政府も何とか機能している。しかし、もし2045年問題」がこのまま現実となって「失業率30%」を超えるようなことがあれば、このシステムが『破綻』することは火を見るよりも明らかだ。
 一方でここ数年、「人手不足」が深刻化して「省力化」「生産性の向上」を今まで以上に図らなければ企業の存続が危ぶまれる情勢に到っている。ひとつの仕事に要する人員数が減少するとともに仕事自体も必要でなくなる可能性はいよいよ現実化している。同時進行で「高齢化」は加速して2042年に65歳以上が3900万人近くなってピークを迎え、更に高齢化率は2060年には40%にまで達すると予測されている。労働力人口の減少と「無職者数」の増加は歴史的必然として覚悟しなければならない。
 
 ほうっておけばまちがいなく、仕事は減るし、労働力人口も減る。
 問題は、乱暴な言い方だが、四千万人の労働力人口(20176500万人の4割減)で、五百兆円のGDP(現在の我国のGDP)を生産できるかということだ。もし可能ならば、仕事が減っても労働力人口が減って無職者が増えても、今程度の生活を全人口に保障することができるということになる。
 
 楽観的かもしれないが、決して不可能ではない、と、思う。
 ただ、「人は職業について、所得を得て、生活する」という価値観の大転換をしなければならない。そうでないと、「負担と受益の均衡」「弱者切捨て」を標榜する「新自由主義者」の呪詛が大合唱となるに違いないから。
 限られた有能な職業人と政治家が、AIやロボットを最大限に活用して資源を最適利用し、国民すべての福祉を実現するに足る成果をもたらす社会を経営する。仕事(社会的な富を生み出す)は選ばれた人たちの特権であって、無職の普通人は仕事以外の「社会的つながり」で社会の構成員となり「生きがい」をもって生活していく。こんな社会が実現できれば、ひとりの老人をひとりの若者が支える「不平等な社会」を心配することもなくなる。
 
 仕事がなくなって、労働力人口が減って無職者が増える。このことを前提にしないと、20年後30年後の社会は考えられない。にもかかわらず、生産性はAIやロボットの活用によって飛躍的に向上する。これも相当な確率で実現されそうだし実現しなければ日本は成立っていかなくなる。
 これだけの条件をクリアするためには、「人は職業について、所得を得て、生活する」という価値観からパラダイムシフトしなければならないことは確かなようだが、それを実現するための道すじは「未知の領域」だ。
 しかし次の時代を予感させる「考え方」はすでにいくつも現われている。
 例えば『ベーシックインカム』や『ワークシェアリング』ということばが喧しく言い立てられたことがあったが、当時は新し物好きの軽薄な学者やマスコミ人の「言葉遊び」にすぎなかった、しかし20年後までには、必ず必要になる。ベーシックインカムが国民すべてに支給されねばならなくなるであろうし、少ない仕事を多くの人が希望すれば必然的に「ワークシェア」することになる。今ほど潤沢な所得は慎しまなければならないから『シェア経済』も当り前になるにちがいない。
  
 20年後の社会をユートピアにするかディストピアにするかは、「今既に起っている変化」をしっかり認識し、それを確実に取り入れて、想像力を活かした社会を「創造」するかどうかにかかっている。
 
 

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