2018年3月12日月曜日

「老いる」技術

 先日(2月14日)の京都新聞に老人学の素晴しい記事があったので概略を下に記す。
 定年の時期は「老い」という新しい冒険の始まりである。仕事には定年があるが、人生には定年はない。いくつになっても新しい発見があり、新しい学びがあり、新しい成長がある。定年になると地位や業績、築き上げてきたものを喪失するという経験をする。併せて、からだの変化もあり、無力感や不安を感じやすい。(略)しかし実は、失ったものはこれからの人生に不要かも知れない。自分にはどれだけたくさんのいいものが残っているか、「ないけど、ある」と、あるほうを見よう。たとえば、仕事が無くなっても、おかげで時間のゆとりができたというように。また散歩の途中に新しい草花を見つけたとか、ささいなことに感動し「生きている」よろこびを見いだすなどの新しい発見もある。(略)一方で夫婦でそれぞれの生活パターンを再構成しないといけないかもしれないし、夫婦を含めた人間関係の再編成は老後の生活をうまく折れ合っていくためのレッスンといえる。(略)ひとり暮らしの自由や楽しみも大切にしたい。ひとりが孤独で寂しいとは限らない。何かあったとき、誰かが駆けつけてくれるという信頼感があればいい。(略)定年後の60代や70代は老年期への過渡期として、しなやかさを育む時期と考えたい。時代や社会、心身の変化に対して、いかに柔軟に、しなやかに生きられるかが、とても大切になる。
 これを書いたのは立命館大学の特別招聘教授の「やまだ ようこ」さんで彼女の専門は「人生心理学」としてある。1948年生まれで京大教育学部教授を経て現在に至っている。生涯発達心理学も専門で心理学の応用――特に老人や成人への展開を試みられてきたのだろう。とにかくこれまで接してきた「老人学」に関する論述のなかで最も感銘を受けた。
 
 「仕事には定年があるが、人生に定年はない」という使い古された言葉が「定年の時期は『老い』という新しい冒険の始まりである」という語句が付くとストンと納得がいく。「いくつになっても新しい発見があり、新しい学びがあり、新しい成長がある」とつづけられると勇気が湧いてくる。「しかし実は、失ったものはこれからの人生に不要かも知れない。自分にはどれだけたくさんのいいものが残っているか、『ないけど、ある』と、あるほうを見よう」と諭されて老いを生きるテクニックを知らされる。人間関係の再編成、これは新しい視点だ。知人友人は当然だが「夫婦」にもこの考えを応用すれば、夫、妻という関係をまったく新しく変えることができそうだ。妻――家事経営と子育ての専門家でありセックスパートナーであった人が、人生の伴侶になり理解者になり善き友人である「女性」に変わってくれる可能性がある。同じ趣味の仲間になることもあろう。とにかく意識して、妻との関係に変化をつくることが大切になる。人生後半生がうまくいくかどうかの基本はここにあるようだ。
 「60代や70代は老年期への過渡期として、しなやかさを育む時期と考えたい」という視点は「人生100歳時代」にとっての正しい道程を示し「ひとりが孤独で寂しいとは限らない。何かあったとき、誰かが駆けつけてくれるという信頼感があればいい」という考え方は「老いの甘え」を戒める。
 
 この記事を読んで疑問を抱いたのは、アンチエイジングという若さを保つ技術が氾濫しているのになぜ「老いる」ことの技術がないのだろう、というものだった。「先生、このごろ睡眠が浅いように思うのですが」とかかりつけ医に相談しても「歳のせいですよ」と返されるのが普通だ。そんなことは分かっている、それを何とかしたいんだ!
 「加齢に伴う」悩みの解決策は多くの医師にとって未知の領域にある、これが真相なのではないか。やまだようこさんも言っているように「60代や70代は老年期への過渡期」として本格的老齢期である80歳後半に備えて体力知力を養成する時期なのだがそれを指導する「専門家」が不在なのだ。80歳でトライアスロンに挑戦した男性は60歳を超えてから水泳を始めたというが、個人差のある高齢者の体力向上をどう図ったらいいか、正解がまだないのにちがいない。齢をとると読書力が衰える人が多いが、これは体力低下に伴う根気―集中力の劣化と視力の低下が作用している。にもかかわらず「眼科健康診断」をしている人は皆無に近い。「歯科健康診断」は歯垢除去という形で年に何回か歯医者通いしている人もいるが「歯磨き」を医者の指導通り実行しているかどうかと問えばほとんどが首をかしげる。
 「好奇心」の衰え、これが高齢者の最も大きな「老化」だろう。なにもかも「知ったつもり」で知識欲が衰え、そのくせ「仮想通貨」だったり「AI-人工知能」だったりの新しい知識・技術に対しては、気後れして「知らなくても別に困らない」とタカをくくってしまう。何に対しても「既得の知識」で間に合わせるという「横着」をきめこんで、そのくせ「上から目線」で「横柄」を演じる。こうした老人特有の『傲慢さ』が「キレる老人」を生んでいる。「散歩の途中に新しい草花を見つけたとか、ささいなことに感動し『生きている』よろこびを見いだすなどの新しい発見」をいつまでもつづけられる『しなやかさ』が「老い」を楽しくしてくれる。
 
 アンチエイジングなどという無駄な『消費』でなく、「賢く老いる」技術を開発してほしい。
 
 

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