2018年5月14日月曜日

メルカトル法と東大

 最近興味を引かれたものに「The True Size Of…」というパソコンソフトがある。メルカトル法で描かれた地図の縮尺誤差を修正して特定の国や州のサイズをほかの国と比較できるソフトで、メルカトル法がもっている「緯度による誤差」が解消されて両者の実際の大きさ見ることができて驚きだった。メルカトル法は球体の地球を二次平面に展開するため「緯度による誤差」がどうしても生じてしまう――赤道がゼロになって北(南)に移るに従って小さく表される。インドシナやケニアは実物大に表示されるがデンマーク、エストニアなどは相当小さくなる。南北に細長い我国は北緯30度から45度に位置しているから実際以上に「狭い国土」に映っている。試みにソフトで比較した我国を見てみるとポーランドからハンガリー、イタリアへ伸びていて、これまで意識していた広さより実際は相当大きな国土なのが分かる。
 そこで「世界の国の面積」で我国の広さを調べてみると62位で377962k㎡(世界の0.25%)、ドイツ63位357121k㎡(世界の0.24%)よりも僅かに大きくイタリア、イギリス、ギリシャ、北朝鮮、韓国とは相当開きがあることが分かる(朝鮮半島全体よりも大きい)。最大国はロシアで世界の11.5%を占めていて別格で、つづいてカナダ、中国、アメリカとなっている。メキシコやインドネシアは我国の5倍、フランスは1.5倍ほどもある。極東の細長い島国で、ヨーロッパの多くの先進国よりも小さな国土しかないという我国のイメージだったが250ケ国・地域もある世界のうちではまあまあの広さなのだということが分かった。
 1931年満州事変が勃発、15年戦争に突入して第二次世界大戦へと戦火が拡大していったとき、当初劣勢を強いられた中国の戦略家が「二三年は日本が優勢だろうが長期戦になれば我国が勝利をおさめることは明らかだ」と自信を持って部下を諭したという。実際戦局が長引くに従って、攻めても攻めても前線を後退させて敗走していく中国軍を追い詰めていく我軍は、国土の広さに眩惑されてどこまでいけば敵軍が降伏するか見極めがつかず、投入物資の欠乏と中国軍兵力の無尽蔵さに圧倒されて敗戦の憂目をみるに至った。航空機の戦力に占める割合が低かった時代においては「国土の広さ」は絶大な戦力であった、それはナポレオンがロシア遠征で敗れたことでも証明されている。
 しかし戦力が多様化し国土の広さが『国力』につながる時代ではなくなり、「国民の福利・安寧」を国家経営の主眼と考えるならば、むしろ、国土の広さと国民の多さは国家経営の障害になる可能性さえある今、なぜ中国やロシアは「拡張主義」をとるのだろうか。不気味である。
 
 このソフトを見終わったとき、なぜか「東大」を思った。昨今の官僚や政治家の「不適当発言」や「文書改竄」「虚偽答弁」「強弁」などのてんやわんやの騒動のほとんどが「東大卒」、それもかなり上位の成績を修めた優秀な賢い人たちの所業であることを考えると、「東大」を我国最高レベルの「学府」とみている我々庶民の『眼』は『メルカトル法の眼』なのではないかと思ったのだ。
 彼らを評価して「アタマは切れたし、仕事は良くできたのに……」という言葉が使われるが、それと「倫理的」に「清廉」なこととどっちが大切な資質なのだろうか。
 仕事ができる、というが、彼らの代わりは幾らでもいる。財務省は官庁の中の官庁といわれて東大のトップスリー級の人材が採用されるが、同期入庁の競争の結果最終的には次官、長官、官房長の他は庁外に転出してしまう。しかし、彼らと転出組との差はほんの僅かであって運も働いて最終的な序列が決まったに過ぎない。次官の代わりは存在するし長官も官房長も同様である。とすれば、仕事ができる、ということはそれほど重要なことではないのではないか。
 「東大」のトップクラスの卒業者は現在の我国においては「最高の頭脳」の持ち主といって過言ではなかろう。しかしそれは「学校の勉強」ができたというだけで、いわば「東大型頭脳」の最高級という意味に過ぎない。別の見方をすれば、現在の我国の「学校制度」においての「最高級」が「東大卒業者」ということだ。では、現在の我国の学校制度とはどういうものなのだろうか?
 
 明治維新以来我国は「西欧先進国」に「追いつけ、追い越せ」を目標にして国づくりを行ってきた。産業革命によって齎された「生産力」を利用して「工業化」を達成することが「世界制覇」につながる『国のモデル』を追求してきた。それを「近代化」と呼んできた。当然「学校制度」もこの「近代化=工業化」を達成するために最も効率的なものにならざるを得なかった。「工業化」に適した「人材」とは大雑把に言えば、同じものをどうすれば最少のコストで最大量つくりだすか、に優れた能力をもった人―頭脳といえる。それは結局、既にある知識・技術を理解し習得して最速・最適活用する能力に収斂する。現在の「学校制度」はこの能力を養成するために最も適した「制度」になっている。その選抜システムが「大学共通一次試験」になって今があり、この「共通一次」で最も高得点を取った人たちが「東大」に入り、卒業して、官僚や政治家の多くを占めているわけである。
 
 我国は今や「工業化」を終え、次のステージに入っている。「サービス産業」であったり「創造・想像商品」であったりが国の総生産額の7割近くを占めるようになっている。生産力として「人工知能AI」や「ビッグデータ」の活用が有望なものとしてこれからの経済社会が運営されていくであろう。そうした社会では、これまで我国の上位層にあって国を牽引してきた、官僚(公務員)であったり弁護士や計理士など「士(さむらい)仕事=士業」がAIに「置き換わる」と予想されている。
 ということは、東大をトップとした「東大型頭脳」の必要性が著しく「不要」になるいうことであり、「学校制度」の改革が近い将来必ず行われることが予想できる。
 
 これからそう遠くない将来に我国の社会は「大変革」を起こさなければ国の経営が危うくなる。現在はその「端境期」にありこんな時期は、少々国の発展を犠牲にしてでもじっくりと新しい「国づくり」に励むほうが賢明である。「進歩」「発展」よりも「清廉」で「公平」「公正」な人材が『重用』されるべきなのだ。
 
 「東大型頭脳」は当分の間「清廉」に席を譲ってもらうおう。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿