2018年8月20日月曜日

自分流

 今年の暑さは酷(ひど)かった。連日40度近い酷暑で「生命に危険を及ぼすほどの猛暑」と気象関係者が度々警告を発した。そして、エアコン(クーラー)を昼夜の別なくフル稼働させて「熱中症」の危険を避けてください、との要請を重ねた。
 しかし、私は、今年は比較的「過しやすかった」と感じている。少なくとも台風13号が去るまでは。
 
 桂地区に転居して驚いたことはクーラーの必要性をほとんど感じないことだった。桂離宮の南、桂川のスグ側のI型の狭いマンションは東西のベランダのマドやガラス戸を空き放てば風通しが極めて良く、風さえあればほとんどクーラーなしで過せたから、転居初年度は一年で十日もクーラーをつけることはなかった。勿論西陣の築百年近い「うなぎの寝床」の町家の風通しが余りに劣悪だったことも事実なのだが。
 年を経るごとにエアコンの必要性は増していったが、それは気候の猛暑化とともに加齢による体温調節機能の低下もあってのことで、とりわけ後者の影響が大きいように思う。発汗作用の不調にそれを強く感じる。肉体的な差異もあるから妻との暑さ、不快さの感じ方に大分差があることに気づいて、調整のために「湿度計付き温度計」を購入して「数値的」に「エアコン起動点」をはじきだそうと試みた。その結果、「室温30度、湿度60%」を稼動不稼動の分かれ目に設定した。もちろん、風通しの良し悪しも影響してくるから、たとえ30度を超えて32度近くても湿度が55%のときはそれほど不快を感じないし、反対に無風で湿度が65%もあるときは室温が27度でも不快指数は100になる。ここ数年気づいたのは、ベランダのコンクリート外壁の「蓄熱」と「照り返し」の激しいことで外壁とベランダのガラス窓(戸)―これが異常に熱くてとくにサッシは触れることのできないほど熱くなっている―にホースで散水すると一気に涼しさが増すことだ。それに「男の特権」で裸になって濡れタオルで体を拭えば気化熱の体温低下作用が働いて扇風機の風だけで十分に「涼」を味わえる。などなど、自分流の「暑さ対策」でここ数年を過してきた。
 その伝で今年の暑さを検証してみると「湿度60%」を超えた日は、7月初旬に2、3日あった以降は台風13号がくるまでほとんどなかった。13号が過ぎてからは太平洋高気圧が「定位置」に座ったせいか60%超えの日がつづいている。ホースの散水、東西のベランダを解放して風通しをよくし、濡れタオルで体を拭って扇風機を活用する、などの工夫を尽した結果、クーラーを使用したのはお昼時の1時間半ほどと夕食の炊事時からの2時間ほど、そして就寝前の1時間。これが最大の使用時間でこれ以内で済む日も少なくなかった。テレビで「生命に危険を及ぼすほど」と何度も報じられた一ヶ月、エアコンは常時使用して熱中症を避けてくださいと警告されていた期間を、わが家はこんな風に過した。
 
 先の「西日本豪雨―平成30年豪雨」の際の「避難指示」に対する一般市民の反応の「にぶさ」が報じられたときにも感じたのだが、気象庁の警告―会見―が余りにも「一方的」「概括的」で「上から」指令、指示であることだ。わが家も「避難指示」が出されたのだがあとで分かったのは、山側の地区の土砂崩れを対象とした「避難指示」であったということで、桂川の水位は2013年の台風18号による渡月橋の大規模浸水被害の時よりも低位で済んだらしい。全国どこでもそうだろうが、地区別の気象警報、注意報にリアル感が伴っていない。いまはインターネットが進歩、普及しているのだから、詳細な地区別の警報、注意報をネットで広報できるようにすることはさほど困難ではないはずだ。警報、注意報が出された場合にインターネットにアクセスすれば地区の詳細な内容が見られるような「情報システム」をつくる、細分化された地区別の情報が、バーチャルな画面で示すようにすることも可能なはずだ。市区町村の「ハザードマップ」が作成される際にはそうした情報を基にしているから情報自体は存在しているはずで、一般に公開するのが今すぐには間に合わないのなら、地区の行政や消防団には公開するようにして、そこから宣伝カーや地域放送で情報伝達すればよい。
 
 一般市民は詳細を知る必要はない、専門家の分析に従えば良い。そんな「上から」姿勢が「気象情報」の伝達・公開にも見え隠れしている。専門知識・情報を素人にも分かるように「情報システム」を設計して、情報に「リアルさ」を与えなければ、いくら警報や指示を出しても一般市民に「現実感」をもって伝わらないことを行政・専門機関は知るべきだ。
 同様のことは今回の「理稀(よしき)ちゃん」行方不明騒動でもあった。公的な捜索機関は「マニュアル」に従って捜索していたのだろうが、素人のボランティア男性の「経験則」が僅か一時間足らずで発見したことで問題点が浮き彫りになった。
 
 今の世の中は「マニュアル」時代である。ファミレスの接客マナーからテロ対策、原発の緊急時対応までマニュアルは完備されているにちがいない。しかしどんなマニュアルも、ある時点での知見がベースになって作られているから放置しておけば「陳腐化」してしまう。絶えず現場の変化を反映させる作業が欠かせない。にもかかわらず現実は硬直化して使い物にならなくなっている例が少なくないのではないか。
 
 電力不足が喧しく叫ばれ国を上げて「節電」に努めたのはつい数年前のことだ。それにもかかわらず、一旦「生命に危険を及ぼす」猛暑になれば「節電」はどこかに吹っ飛んでしまっている。相反する「ふたつ」の目標をいかにすれば程よく調整できるか。それが「賢い人たち」の任務であり、そのために優れた人たちを選りすぐってお役所ができているはずだ。
 今までと同じ「マニュアル」ではこれからは対応できない。どんな仕事にも「想像力」と「創造力」が求められる時代になってきた。
 
 

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